あれから季節は、秋に変わっています。
半年・・・。
色んな事がありました
色んな経験をしました
色んな思いをしました
目の前の事に精一杯で、必死で
無我夢中で過ごした人が多かったのだろうと思います。
同じ、宮城に、東北に住むものとして
ここでも確実に
温度差のあることは事実です
口に出さないだけかもしれません
以前と何も変わらない生活も出来つつあります
あんなことも、なかったことのように・・・。
家族や友達・・・身の回りに犠牲になられた方がいない人たちは
少しずつあの日の事も薄れていくのかもしれません
報道が減りました
激減しました
地元のローカルな番組を見る以外に
情報を得るのが困難だったりします
こうやって、忘れられていくのでしょうか
風化してしまうのでしょうか
そんな私も、自分の事で精一杯・・・。
何も出来てない自分を
今でも情けないと思う毎日です。
思うようにならない体に腹を立てながらも
子供を育て、守る・・・守ってるつもり・・・。
世の中、金!だとは思いたくないけど
先立つものがないと
何も出来ない事も思い知りました。
住む所は残ってるから・・・
そう思って安心していた矢先の認定で
この先、いつまでここにいられるのか
ここは安全なのか
ほんと、わかりません
命があっても
経済的な面で暮らすのが困難な人もいっぱいいます。
近くの仮設住宅も空いています。
避難所を出たら暮らしていくのが大変な人もいます。
そんな話を聞きながらも
何も出来ないんです、わたしは・・・。
思うばかりでは、人を救えない事もわかっているけど
手を差し伸べたくても、救う手立てがない
全く、役立たずです。
台風被害にあわれた地域の映像を見ては
あの津波の事を思い出します。
海だけではない
川も・・・それは、わかっていたことだけど
ここまでとは・・・。
たった半年の間に
各地で震度5を越える地震が多発し
豪雨にやられ
これでもか!これでもか!
とやってくる自然災害
そんな時、やっぱり人間の力は通用しなくて
自分の無力さもまた痛感してしまいます。
偉い人たちも
どんなに入れ替わろうが、何も変わりないでしょ?
不適切発言ばかりで
何一つ被災地の力になってないじゃないですか。
庶民1人1人が、立ち上がって乗り越えようと必死なのに
現地に足を運んでも
ものの数十分で立ち去る
何をわかろうとしてるんですか
何がわかったんですか
9/4に行った石巻
目的は「みちのく音楽魂」
私は、この日
地元で必死に頑張る熱い人たちに出会えました。
10分程度で終わるような花火です
そう言った、実行委員長さん
でも
それでも
自分達の手で、自分達の花火を打ち上げたい
弔いの花火を打ち上げたい
その熱い気持ち
大きなスポンサーなんていません。
ほんとに個人個人の方々の協力で
素晴らしいおまつりが開催されたのだと思います。
小さな力を集めれば
やっぱり大きな輪になるんですよね。
まだ先の見えない、ゴールの見えない状況にいながら
こつこつと
一歩一歩前に進もうとする姿に
胸がいっぱいでした。
震災後、初めて石巻の街の中を通りました。
信号が今も尚、使えないところがあります。
警察の方が、誘導しています。
自分のところがライフラインが整い
不自由のない生活をしていて
深く気にも留めていなかったけど
まだ、こうやって整わずに不便な生活をしている方もいるんです。
半年なのに。
商店街は、ボロボロでした。
開いているお店を探すのが大変なほど
シャッターの下りてるところ
津波でぐちゃぐちゃになったままのところ
板を打ち付けて塞いでいるところ
2月に通ったあの商店街はどこにもありません。
『あぁぁぁ・・・・・・・』
『え?え?・・・・・・・』
と口から出る言葉は、それ以上ありませんでした。
「みちのく音楽魂」の会場、サン・ファンパークの場所を
運転していた旦那に告げたとき
本当に行くのか?と念を押されました
渡波地区の被害の大きかった事
震災後、仕事柄、被災地に足を運んでいた旦那は知っていました。
私も、もちろん報道で知っていました。
恐さは消えてはいません。
自分の目で見てしまうことへの恐怖感もハンパないものでした。
でもこのイベントの実行委員長 TOYOさんの
とても強い気持ち、想いにどうしてもふれたくて
そして、4人のカラーボトルの最後を見届けたくて
連れて行ってもらいました。
台風12号も接近する中
開催も危ぶまれた気がしていたけど
主催する方々の気持ちはひとつで
何が何でも開催する!
ぶれていませんでした。
迷いはありませんでした。
俺たちは、地震・津波に負け、台風までには負けたくない
地震にやられ
津波にこっぱみじんにされ
台風にまで
負けてたまるか!
「おだづなよっ、このっ
」
おだづなよ
ふざけるな
負けてたまるか
って意味なんだそうです。
聞いたことも、使ったこともありませんでした。
でも、とっても勇気が出るんです
不思議だけど、力が出てくるんです。
被災地へ行った人、みんなが口にする
『逆に元気をもらった』って言葉
本当に、その通りだと思います。
絶望だけだった、直後
そこから這い上がってくる力
一度や二度じゃない
何度も何度も心が折れて
先が見えなくなって
でもしっかり歩いている
前を見て、前だけを見て歩いている
その強さは、どこから来るのでしょう
私は、会場へ向かう車の中で何度もそう思いました。
渡波に足を踏み入れて、周りを見渡す
言葉なんて
声なんて出てきません。
道路もきれいに片付いてるし
瓦礫も片付いて、整備はされています。
でも、主のいない家
店舗、静まり返った学校
呆然とする位の
高く積まれた瓦礫の山
通る車はあっても
人の影なんてありません。
なにもかも・・・。
半年経ち、かなり片付き整備されてるはず
それでも、想像を絶する光景が
目の前に
見渡す限り
続いていました。
テレビで見る映像は
もちろん、嘘でもなんでもなく
真実なのだけれど
実際、その場で目にするものは
そんなもんじゃない
そんなもんじゃないんだよ・・・。
娘も言葉を失っていました。
私は、拭っても拭っても溢れ出てくる涙を
タオルで押えながらも
この光景は決して忘れちゃいけない
そう思って、右を左を
そして振り返りながら進んでいきました。
進んで行く中
私は
『私だったら、今、生きていれてるのかな』
そう考えてしまいました。
もしかしたら・・・
違う道を選んでしまっていなかったかな・・・
そう考えていました。
立ち直って、前に進もうとする力を
自分がもてるのか
正直、私にはわかりませんでした
それ位、衝撃だったのです。
会場のサン・ファンパークから見た石巻湾
目の前に、この海が広がった瞬間
『きれー』
と口にしてしまう・・・。
でも、悔しいけど
きれーだったんだ
この海が、大暴れしてしまったなんて
想像もできないほど
きれいだったよ
この海が・・・。
そう思うと、やっぱり悔しいな
宮城では知ってる方も多い高橋佳生さん
ある被災地で出逢ったおばあさんの話を聞かせてくれて
たまたま会ったおばあさんに
おばあちゃん、被害はどうだった?大丈夫だった?
って聞いたら
家がダメになったよ
なんて、話をしていたんだけど
そのうち、おばあちゃんが身の上話をしはじめて
ご主人が何年か前に亡くなったこと
訳あって、子供達に引き取ってもらえないこと
こんなんだったら、助からなかった方が・・・
そう言って、顔をくしゃくしゃに歪ませて
泣き出してしまったこと
そんな、お話しをされていました。
会場では、涙を拭う人の姿が多く見られ
私も、声を押し殺しながら泣いていました。
ドラマと言えば、軽く聞こえて嫌なんだけど
人それぞれに、色んな事があって
事情があって
抱えてるものがあって
それを誰かに話す、聞いてもらう事も
また、勇気が必要だったり
そして、誰かに話す環境にいなかったり
話すことさえ、許されなかったり・・・。
報道される事は減ってきているけど
そんな形でも、自分の想いを打ち明けられて
誰かに聞いてもらうことで
新しい何かが見付かったり
良い方向に進んで行けたりすることも
ゼロではないんじゃないかって
思うんです。
色んな支援の輪も広がるんじゃないかって思うんです。
報道には、そんな役割もあるんじゃないんですか?・・・。
そんな思いを抱えながらも
自分で自分を終わらせたりしない、おばあちゃんの話を聞いて
あの光景を目にしただけで
想像しただけで
少しでも、間違った事を考えてしまった自分が
とても恥ずかしくなりました。
自分の弱さが、恥ずかしくなりました。
カラーボトルのライブの後には
鎮魂慰霊祭と、鎮魂花火打ち上げも行われ
私は、時間の関係で慰霊祭や花火の打ち上げに
参加することが出来ずに残念でした。
何としてでも、この太平洋、東北、宮城県、石巻湾岸に向かって
大きな花火を打ち上げたい!
打ち上げなければならない!
この震災で亡くなった方々、
まだこの海のどこかに居られる方々、
地元の被災にあった子供達の為にも、
絶対、打ち上げたい
みんなで、空を見上げよう
そんな深く強い想いのある花火を
石巻の人たちと出来る事なら一緒に見たかったな。
帰り道
冠水している場所を通りました。
なんだろ・・・この水は・・・。
そう思って、車のスピードを落としてあたりを見回すと
すぐそこに、海面がありました。
驚き、急いでその場から離れる
満潮の時間になると
毎日、この水との戦いなんだろう。
そして台風や豪雨
水かさが増すと、こんなことが続いてしまう。
海で生きる人たちは
やっぱり、これからも海で生きたい
離れたくない
やっと船に乗れた漁師さん達の
子供のように目をキラキラさせて
イキイキした姿が思い出される
たまにじゃない
毎日の事
そこで暮らしていくという事は
まだまだ
まだまだ
まだまだ
何かと戦いながら生きていくということ
日も沈み、辺り一面暗くなり
昼に通ってきた道をまた戻る
廃虚と化した街並みは
寂しくぽつぽつと街灯が光るのみで
家の灯りなんてどこにもない
真っ暗闇
まだ、心の暗闇から抜け出せずにいる人も
きっといるだろう
やっぱり
長く、険しい戦いになるんだ
自分が悩んだり、凹んだりしていることが
こんな光景を目にしてしまうと
ほんとに、くだらなさ過ぎて情けなくなる
私はきっと辛いんじゃなくて
辛いふりをしてるだけ
苦労じゃなくて
苦労してるふり
でも一度だって
自分が良ければ、それでいい
なんて、思ったことはないよ
自分だけが楽しければいい
自分だけが
自分だけが
なんて、思って暮らしてなんかいない
半年前と何一つ変わらず
何も出来ずにいるけれど
市場に魚が水揚げされたって聞いたら、嬉しいし
お店がまた開店できたって聞いたら、嬉しいし
おまつりが、行事が、今まで通りにやるって聞いたら、、嬉しいし
地元の人たちと、喜びの大きさが違うかもしれないけど
喜んでいる、笑ってる人たちを見たら
やっぱり自分の事のように嬉しいよ
良かったね、良かったね。って
涙流しながら嬉しく思うよ
そして、辛い事、悲しい事
わかってあげる事は決して出来ないけど
いつでも一緒に泣いている
泣いてるだけで、なんの力にもなれないけど
少しでも、その気持ちをわかりたい。って思う
もし自分がそうだったら・・・そう思うと涙が止まらなくなる
まだ行方不明の方もいます
明るい事ばかりではありません
あの日から、苦しんだままの人もきっと・・・。
だから、忘れずにいてください
あの日のことを。
報道されなくても
忘れずにいてください
被災地の人たちのことを。
私も、私のやれることを
一つ一つクリアしていくつもりです。
大きな何かをすることは出来ないけど
日本の、世界のどこかでなにかがあったら
自分に何が出来るのか
考え、探し、見つけていこうと思います。
今回の震災だけじゃなく
今もまだ、各地で大変な思いで生活している人たちがいることを
忘れずにいたいと思います。
次から次へと色んな事がぶつかってくるけど
跳ね除ける力をもらえてるはずだから
へこたれずに、くじけずに
明日へ足を運ばなくちゃ
半年を前に、行けて良かった石巻。
その日は、かなりの衝撃で眠れなかったけど
知るべきだったんだ、今を。
ここにいたら、やっぱり温度差が激しくて
感じる事が出来ない気持ちだった
出逢う事ができない、感情だった
竹森くんが言った
『涙の向こう側が涙で
そのまた向こう側が涙でも
そのまた先の笑顔を目指して』
何度でも・・・。
よし、がんばっぺ
そして
おだづなよっ!
14時46分
黙祷・・・。



