盛岡に住む友達の実家が岩手の沿岸にあり

津波の被害にあった

家は流された挙句、火災が発生して焼けてなくなったと・・・。

でもお母さんは無事で、しかもとっても元気でいてくれた


いくら盛岡に連れて帰ろうと説得してもダメだったと言ってた

自分でやれることをやれるだけやりたい!って言う

お母さんの想いをくんで諦めたと言っていた


住み慣れない土地に行って、知り合いもいない中で暮らすのって

年を取れば取るほど大変で難しくて、寂しい事なんだよね・・・。



一昨日、娘の引越しと入学式の為に北海道へ向かう妹から電話があった

『少ししかいれないんだけど、時間調整して稚内に行ってくるね』

そう言った


姪は名寄の大学に進学する

私の母は利尻島生まれの稚内市育ち

一番テッペンの人(笑)

北海道は広いから、移動に時間はかかるけど

名寄は上が稚内←大雑把な考え

行ける行ける(笑)



小さいけど私には、小学生の時から夢があって・・・。

ずっとずっと頭にあることがあって・・・。

でもそれはこの歳になってもなかなか叶えられずにいた



『母の里帰り』



いつか遺影を抱いて・・・母を稚内に連れて帰りたい

ずっとずっと想っていた


でも今の私では益々叶えられそうにない

妹から稚内に行くと聞いて一度電話を切ったけど

またかけなおした


『お母ちゃんの写真ない?どんなに小さくてもいいから・・・

出来れば連れてってくれないかな?』

そしたら妹は

『もうちゃんと準備してかばんに入れてあるよ!

お父ちゃんも一緒に連れて行ってくるから』って


一度も妹に私は小さな夢の話をしたことがなかったのに

想いは一緒だったのがわかって嬉しかった

凄く凄く嬉しかった


妹の方が私より形見を多く持ってたのは複雑だったけど(笑)

↑小さい



父が再婚してた時期があって・・・

父が保管してた私達の生まれてからの写真は

その人に全て焼かれてしまっていた

奇跡的に自分達が持っていた数枚があるだけ

私も妹も赤ちゃんの時の写真は1枚もない

だから母の写真はほんとに貴重


でも出来れば私も行きたかった・・・。


今も叔父や叔母は健在で

何人かは仕事休んで迎えてくれると言っていた

悲しい事があった時にしか会えてなかったから

元気で笑って会いたかったな

どっちにしても今は無理だけど・・・諦めが悪い



31歳で他界して今年で31年

今では私は母よりおばさん(笑)

里帰りは何年ぶりなのかな・・・・。

きっと帰れて喜んでるはず

妹や弟に会えて喜んでるはず

私はもしかしたら連れて行ってあげれなかったかもしれない

だから

ほんと帰れてよかったね!

って遺影に向かって話していた



実家があるって幸せな事

帰れる場所があるって幸せな事

待っててくれる人がいるって幸せな事


津波とは関係なく

私にはもう実家もなければ、そこで待っててくれる人もいない

だから私は、待っててあげる人になるんだ。



瓦礫の中から思い出のアルバムや写真を

取り出しながら作業してくれてる人が居るって聞いた

作業は捗らないけど、せめて写真だけは・・・

そんな想いだと聞いた

私は写真1枚の有難さも重みもわかる

たった1枚でもそれは力になる

お守りになる

少しでも多くの方の元に戻ってくれたらいいな

心から思う



地震は天災で、誰かを責めて気が済むものではない

少しでも早く仮設が出来て

今よりも落ち着いて沢山の方が暮らせる日が来ますように

安心して暮らせる日が一日も早く来ますように



震災後初めて現地入りして、滞在たったの20分

頑張れだって?

とっくに頑張ってるよ

頑張ってる人にもっと頑張れだなんて言わないで

頑張らなきゃないのは・・・誰なのよ・・・。

全ての避難所を回ってなんて言わない

でも時間かけても各地は回るべきじゃないの?

今、みんなが欲しいのは頑張れなんて言葉じゃない

わかってるはずなのに・・・



きれいな作業着はスーツに身を包んでるのと一緒だよ・・・。