転勤族だった私は8年間福島県民だった
息子が1歳になってすぐ福島市に
2歳になってすぐ今度は郡山市に異動し7年住んだ
娘もここで生まれた
今福島は原発の問題で大変な事になっている
勿論、郡山も地震の被害があり避難してる人も沢山いたらしい
義母から電話があった
『郡山の友達は大丈夫なの?
もし恐くても避難する所がないんならうちに来て貰ったら?
2階空いてるし』と
正直驚いた
たまには良い事言うな~と
口を開けば嫌味と命令ばかりの人が
こんな事も言えるんだ・・・と新たな発見・・・・と思う間もなく
『あんた達の部屋もあるよ』
結構です!(きっぱり)←心の声
実際には
あぁぁ・・・・・・・・・。言葉が出ない
やっぱりそこか
それを言いたいが為に電話してきたんだ・・・・・ガクッ
年取ったら介護させる為に貰った嫁だと言い放った義母
母を早くに亡くした私を事あるごとに小馬鹿にし
亡くなった母にまで暴言をはいた義母
大人気ないと思われてもいい。仕方ない
でも許せないんだよ
私だけならまだいい。我慢もする
でも母の悪口は絶対許せない
許さない
何も知らないくせに・・・・・・・・・・・。
そんな姑との同居で体調を崩し精神的に不安定になり
無理矢理転勤願いを出したんだった
退職される方がいて、運良く補充で異動した
そこが福島だった
知らない土地で頼る人もなく不安なはずなのに
開放感でいっぱいだった
これっぽっちの不安もなかった
自分達の生活が出来る喜びでいっぱいだった
そんな私を受け入れてくれた福島は
当たり前だけど福島弁が溢れて温かい街だったな
でも友達を気遣ってくれた事には素直に感謝して
友達にもちゃんと伝えた
ありがとうって言ってた
行くとは言わなかったけど(だよね)←心の声2
これから桜の季節を迎える
福島にもいっぱいいーっぱいきれいな場所がある
思い出がある
子供達を育ててもらった恩がある
友達、近所の人、みーんなに育ててもらった
娘は生まれてすぐ病院通いが始まり入院もした
とにかく眠る事が出来ず一日中泣いている
私は座る事も、足を伸ばす事も、ゆっくり眠る事も出来ずに
いつも立ちっぱなしだった
息子繋がりの先輩ママが代わる代わる家に来て
娘をおんぶして散歩に出てくれた
今のうちに横になりなさいって
ゆっくり足伸ばしなさいって
晩御飯のおかずも届けてくれた
徒歩通園だった息子の幼稚園の送迎もしてくれた
突然、父を亡くした時もそばにいてくれた
私はいつもそうやって誰かに支えられて助けられて生きてきた
余りにもお世話になりすぎて甘えすぎて心苦しくなって
先輩ママに言った
『いつもお世話になってばかりで・・・なんの恩返しも出来なくて・・・
ほんとにすみません』と
そしたら
『恩てね?その人に返す事だけが恩返しじゃないんだよ?
誰でもいいの。誰でもいいんだから、手を差し伸べてあげたら
それが恩返しなんだよ』って
その場所で号泣した事をずっとずっと覚えてる
あの言葉は一生忘れない
私の宝物だから
今回もまた私は沢山の方にお世話になってしまった
勿論、ご恩は絶対絶対忘れない
その方達が大変な時は、精一杯やるんだ!って心に決めている
そして先輩ママが言ってくれたように
誰にでも手を差し伸べて上げられる自分でいたい
今のこんな身動きも取れない状態の私に何が出来るかな?
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
今すぐは無理でも、きっと答えは見つかる・・・きっと
原発は福島にあるけれど
あれは関東の人の為のもので東北の人の為のものじゃない
東北の人の為に節電しています・・・って何かで見た
それは自分達の為の節電・・・。
福島はただそこに建てられてしまっただけ・・・・・・・・・・・。
一日も早く安全で美味しい野菜や牛乳が買えますように
一日も早く安心して赤ちゃんがミルクを飲めますように
一日も早く安心して外を歩けるようになりますように
そしてこれ以上被爆者が増えませんように・・・。
お友達に教えてもらったカラーボトル竹森さんのブログ
励まされる
読んで久しぶりに、音楽聴いてみようかな・・・
心が動いた
『10年20年』
泣きながら何度も何度も繰り返し繰り返し聴いた
10年20年経って 肩組んで笑っていたいな
10年20年経って 泣いててもまぁいいかな
うん、そうだよね。って素直に思える
心に届く・・・響くよ
カラーボトルのPVには仙台の街並みが沢山残されている
今はちょっと見るのが辛いけど・・・でも
10年20年経って、この街で笑っていれたらいいな
そう思えた
義母さん、ごめん!私、ここにいたいよ。(どさくさ)
心が軽くなった
ありがとう
そして
がんばれ!!!!!!!!!!
東北高校!!!!!!!!!!