day23“ 何が為の ”

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どうも。

英検2級取得から1年経ち、
「もうそろそろ準1いけるかも?」と高を括って今日受けてみたところ、
見事リスニングでボロクソにやられた

りゅーしゅーと申します……





次の土曜!いよいよ北米へ出発!
いえーい!!


全力で英語鍛えて、視野広げてきます。







あ、先に言っておきます。
今回ゴリゴリのシリアス回です。






 






















「俺、何の為に勉強してるの?」


って題が全く解決の糸口を見せず困っております。


いえ、こんなに恵まれた環境でやらせてもらっていることへの感謝を忘れた訳では、勿論ありません。





言い換えれば、




俺って勉強した結果、人としてどうなりたいの?



みたいな。





ここでハッと気づく。









同じこと、一年前くらいにゆうすけ先生に言われたことあったわ……

(ゆうすけ大先生のブログはこちらから




そのときの事は今は割愛させていただきますが、
「将来の自分の理想を掴め」と言われたことをよく憶えています。



今その意味を身にしみて感じてます笑








最近、考えてばっかり。




思えば一年前。


今の自分では理想が見えないなら、とにかく走り出してみればいいと


目標すら見えないままただただ頑張って、いろんなものに触れてみて



今まで見えないものが見えるようになった。



視野が広がって、将来やってみたいことが沢山できた。

(いや、正確に言えば、一年前も見えてはいたのです。進み方が分からなかっただけで。)





しかしながらこれらは、

「好きになるために好きになったもの」

なんじゃないかと、そう思ってしまうのです。





つまり、目的が先行している本質を失った興味なんじゃないかと。





出会いはどうでもいい。それは確か。


いつかも書いた、キリンという生物の名前の由来の話の通り。



結局、人生で成したいこととの出会いなんて殆どが偶然の産物なんですよ、多分。




おそらく僕は「好き」を追い求めすぎたせいで、純粋な興味を忘れています。


もしかしたらそれをまだ覚えているのかもしれないけれど、全部「何か好きにならなきゃ」ありきじゃないかと。



あー、そんな風に、思っちゃうんすよねー。















……いや、相当分かった気で書いてるように見えますねごめんなさい!!!



でも続けます。








僕の周りの、みんなが言うんです。



この前学校に公演に来たヨーロッパの有名な建築家は、

中学の時出会った教師の専攻が建築で、それに興味を持ってひたすら極めたらここまで来たと。普通に暮らしてる時も、街を見ながら構想を練ってみたりするらしい。





最近僕がお世話になってるうちの高校のALTはアメリカで弁護士をやっていたのに、

ある日、日本語の美しさに出会って惹かれて、気づいたら日本にやってきていたと。

加えてこの人日本語検定一級とったらしい。好きな作家は森鴎外。
いっつも中学の国語の教科書読んでます。

「人生は好きなことできたら、一番いいよね。お金も大事だけど、それは目的じゃない」
(日本語ペラペラ、たけくらべ片手に)




その他大勢。


好きなことをやって、生きてきた、生きたい。そう言うんです。












正直羨ましかった。


だって、そんなの幸せに決まってるじゃないですか。




他の誰でもない、自分自身によって定義された「好き」を、めいいっぱい人生かけて追いかけられる。



「好き」ではなくとも、自分が人生でこれを成し遂げたいんだってものを見つけて、それに向かって走っている人が

僕は羨ましいですし、尊敬しています。


僕だってそんなふうに生きたいと思ってますよ。







もちろんそれは、暮らすための手段と一致するとは限りません。



生きる目的と暮らす手段の一致がそれほど多くないものなのは、世の中から明らかです。



世の中そう甘くはないのです。














がむしゃらにやって来ました。


全然「死ぬ程」には遠いし、本当に頑張っている人から鼻で笑われるかもしれないけれど。




それでも、周りの誰よりも自分の人生を考えて、この1年生きてきたつもりなんです。




でも、考えれば考える程、知れば知る程。

また現実が見えてくる。


ここからは、才能の話。








「努力の量と結果は比例しない」


正確には、
「どんな努力も結果に結びついているとは限らない」





重い事実です。
僕はこれ、この世で一番最低な道理だと思ってます。




もしも、世界に才能なんてものが存在せず、

人類において全てのパラメータの初期値も伸び方も同じ世界が存在したなら。


勝てるのは、一番努力した人のはず。



きっとこんなこと、誰もが一度は考えるのでは?





でも現実は違う。


この世には誰かが何年も努力してやっと手に入れた力を、数ヶ月で習得していく才能があります。




実際、僕は小1から7年サッカーをやっていたのですが、

僕より4年も後に始めた子が、すぐに僕の上を行ってしまいました。

僕は地区選抜止まり。彼は始めて2年で東北選抜までいきました。





あの時のやりきれない気持ちを、僕はいつまでも忘れられない。

一生懸命自主練し続けて、朝も小学校でシュート打ち込んで。それでもあっさり負けた。




もちろんその子も努力していたんでしょうけど、僕を抜いた瞬間、まだ努力量では相当の差があったはず。










能力は努力量なんかで決まる訳では無い。


端的に言えば、遺伝。







さあ、これを読んでいる多くの方はきっと

「こいつ、遺伝のせいにして言い訳がしたいだけじゃないか。見苦しいぞ」


と思っているでしょう。








僕もそう思います。いや、そう思ってきた人間です。




僕は「才能」とか「天才」って言葉が、ずっと昔から大嫌いでした。



だって、そんなこと言ったら 

「お前は天から才能を与えられてるからすごいんだ」って、

その人の努力を否定して侮辱してるのと同じじゃないですか。

それを、努力を怠る人の言い訳に使うのは絶対に間違っています。



何より、僕はそんなことが理由で負けたなんて認めたくなかったんです。


「俺は確かに努力したけど、あいつはもっと頑張っていたから負けたんだ」



そう思いたかったんです。
才能で負けるなんて、あまりに理不尽すぎる。









でもそろそろ進路決めなきゃいけん時期になって、
人生考えるようになってくると、



嫌でも現実は見えてくるものなんです。





すなわち、

「誰がなんと言おうと、科学研究の結果からしても、遺伝も才能も天才も、努力に関係なしに存在するのだ」と。










ほんと残酷ですよね。


何だってそうなんですよ。特にスポーツ。



だからこそ、これもよく言われることではありますが、

出来るだけ才能がストレートに反映されずらい……いや。


努力でも才能と渡り合いやすい「勉強」が、大学受験のリングな訳ですよね。





















さて、何が言いたいかさっぱりにならないうちにそろそろまとめに入りたいですね。








「もしも好きなことがあってそれに全霊を尽くしたとして、それでも結果がついてこなかったとき、その努力は無駄か否か。」




否。間違いなく否です。

僕はそういう努力こそ意味があると思います。




………………思います。



それでも僕は、それを受け入れられないんじゃないかとも、思ってしまうのです。









そういう意味では、夢を持つってめっちゃ怖い事じゃないのかなって。


いつの間にかそうとすら考えてしまいました。



叶うと信じている時はいいですよ。でもそんなの長くない。




誰だって、報われない恐怖と闘いながら必死に努力を積み重ねている。




すごいなぁって、思いますよ。










いつか、本当に心の底から人生全部かけてでも成し遂げたいと、例え報われなくても構わないと思うことに、出会えるのでしょうか。



これはきっと甘えです。
待っていては、それはやって来てはくれない。




最初の方に紹介した先人達は、皆走り続けたからそれを手に入れられたのです。








絶望してなお、走り続けなきゃと。


ほんとに、しんどいっすね。










人生の最後に、こんな人生でよかったと一生を振り返られるだろうか。


これはまだ早いですかね笑












だからこその「好き」

だからこその「理想」なのです。








好きだから。これこそが最強無敵の真芯。






僕だって、いつか。























今回はこの辺にしておきます。



何か思ったことがあったよって方、よかったらコメントしていっていただけると嬉しいです。
なんでも構いません。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます!










それでは、また。
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