9時半くらいだろうか。バイトから帰ってフライパンで炒めた冷凍焼きそばを食べながらぼっーとNHKのニュース番組を観ているとロシアによるウクライナ侵攻に関するロシア国民のデモや日本在住のロシア人の方のインタビューが目に入った。そして右上にある言葉に違和感を感じた。

 

 その画面の見出しは「良識あるロシア国民」。


 あー、そうか。良識あるロシア国民は今のロシアの行動を批判するのか、プーチンを批判するのか、止めるのか、声を上げるのか、だからデモに参加するのか。


 じゃあ参加しない人は?良識ないの?


 日本人である僕が言っても立場が違うし、その場にいないから説得力がないかもしれないが、あえて言うなれば、僕がロシア国民ならデモには参加しない。理由は簡単だ。


 捕まりたくないから。

 まだ死にたくないから。


 今のロシアが進む方向が間違っていると思っていてもおそらくこの理由でデモに参加しなかったり声を上げないでいるロシア国民の方はいらっしゃるだろう。

 

 これは何も悪くないと思う。この状況で自分の命や家族を守る最善の策はこれだと思うからである。しかしデモに参加している人からしたら臆病者だと批判されるのかもしれない。今の時代はされないか。もしされなくても少しはそう思われるだろう。


 良識や常識は、人の見方や視点、環境によって変わる。プーチンにとっての良識はロシアが世界の中心であること、欧米に負けてはならない、ソ連のように崩壊させてはならないことなのだろう。(他にも考え方はあるかもしれないが、僕はそう思っている。)ならば今彼がしていることは、彼の良識に照らし合わせれば間違っていないということになる。たとえそれが国際社会の良識と違っていたとしても。


 つまり何が言いたいかというと、良識という言葉は不安定なものであるということだ。「戦争をしてはいけない」と思っている人=良識を持っている人なのか。デモに参加する人=良識を持っている人なのか。戦争をしてはいけないと思ってるいけれどもデモに参加しない人=良識を持っていない人なのか。


 この答えは誰にも決められない。むしろ決めてはいけないことなのである。少なくとも何百万、何千万という人が観る番組で使っていい言葉ではないのだろうと僕は思った。


 だから違和感を感じたのかな。