歴史!徒然草
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ブログは日本の伝統芸?

 はじめてブログを投稿します。青色竜戦士です。

 さて、今回はブログ初投稿なということで「ブログ」をお題にしたいとおもいます。


 唐突ですが、ブログの投稿数がもっとも多い言語はなんだとおもいますか?


 当然、インターネットで使用数の多い言語順にきまっているじゃないかといわれるでしょう。

 ということは英語に違いない。そう推理を働かせた人も多いでしょう。ぼくもそうだとおもっていました。

 ところがそうではないのです。

 ちょっと前の調査で恐縮なのですが、2006年第4四半期のブログ投稿数で日本語ブログが世界最多であったというのです。

 意外ではありませんか。

 インターネット上で使われている言語の第一位はもちろん英語で、ネット上での使用割合は三割以上あるといわれています。日本語は一割に届きません。

 もっとも日本語よりも話者の多い言語といっても(インドのヒンディー語やアラビア語など)ネット環境が整っていない地域の言語についてはネットでの使用割合は低くくなっています。その点、話者人口の割に日本語のネットに占める割合は大きいといえます。

 それはさておき、日本語は英語と比べネットの割合で三倍以上の差があるので一分野といえど、その使用量が上回ることは考えにくいのです。

 それではどうして(この一時期だけかもしれませんが)英語を上回ったのはなぜでしょうか。

 そこには日本の伝統文化である「日記」が大きくかかわっているのではないでしょうか。

 

 つまり、日本人はブログを日記のように考えているのです。


 ご存知のとおり日本では古来より多くの日記がかかれてきました。

 土佐日記や更級日記などの日記文学さえ成立したほどです。
 日記の歴史をひもとけば、世界共通に旅の記録である旅行記や戦争の記録である軍記にたどりつきますが、日本では平安時代に貴族たちがつけた日記に源をもとめることができるでしょう。
 かれら貴族がつけた日記の代表として「御堂関白記」があります。

 かの「この世をば、わが世とぞ思ふ、望月の欠けたることも なしと思へば」を詠んだ「藤原道長」の日記です。かれらが綴った日記とはどんなものだったのでしょうか。

 日記なのだから、その日にあった出来事やその感想について書いてあるに違いないとおもうかもしれません。 


 でも、そうではありません。

 

 もともと宮廷の儀式を記録したものが始めにあったといいます。それは公式のものでしたがやがて、上級貴族がその儀式の運営方法などについて書き記していったのです。いわばその家の子孫につたえるためのマニュアル本的に日記をつけたのです。

 なぜ、それぞれの家でそんなことをしなければならなかったのか。そんなもの宮廷でマニュアル化して伝えるべきではないかとおもわれるかもしれません。

 唐王朝の制度を参考につくられた日本の律令政治は瞬く間に日本風に換骨奪胎されていきます。それは藤原氏が我が氏族のみの発展を考えて作った制度でもあるのですが、その話はまた次の機会にするとして、そうしてできた平安中期以降の王朝国家では朝廷の役職のすべてが世襲されていきました。

 現代風にいうなら総理大臣になれるのは藤原さんちだけ、各省庁の大臣になれるのは平さんだけ、警視庁長官は源さんだけといったように、すべての役職が家業化していったのです。

 家業なので、その役職のおこなう儀式のこまごまとした運営法は親から子へと受け継がれることになります。そこで日記にそのことを記録して役立てたのです。

 その風習は貴族だけでなくやがて、貴族とつながりのある僧侶らにもひろがっていきます。


 日本史の試験で頭を抱えたことがありませんか。


 たとえば「正長の土一揆」が記述されている書物はなんですかという問題があったとしてそれがたとえ三択だったとしても「大乗院日記目録」「大乗院寺社雑事記」「多門院日記」のどれですかといわれてもすぐにどれだかわからなかったことはありませんか。

 当時から歴史好きであったぼくですが、この手の重箱の隅をつつくような設問は苦手でした。答えは「大乗院日記目録」なのですが、そんなことどうでもいいじゃんと歴史好きのぼくでもおもいました。問題はどうしてその時代に土一揆がおこったのかとか、その及ぼした影響にあるはずなのに。といまではっきりとそうおもえます。
 さて、いま例にだした日記は名前でわかるように書き手は寺社のお坊さんです。
 これらの日記は、いまのブログのように最近話題の事件を日記に書き記しておいたもので、それが後世の歴史家によって格好の資料になり試験の材料につかわれたのです。後世の学生らには覚えるものが増えて迷惑な日記ではあるのですが。
 それらの日記の書かれた時代よりのちの江戸時代。平和になり大事件はすくなくなっていましたが、貴族や僧侶らが日記を書くという風習は平和で豊かになったこの時代、武家、学者だけでなく町人などにも、広がっていき世界でもまれなほどの日記好きな民族が誕生したのです。

 もっともこれには世界でも類例のないほどの高い識字率の副産物でもあったのですが。
 現代にもその風習が脈々と受け継がれ、日記という文化は日本人の特徴的な風習に昇華していったのです。年末になると日記の販売コーナーができる国など日本くらいしかないといわれています。
 だからこそ、日本人はブログをその延長上に考えたのではないでしょうか。
 そうおもうとブログをつけることも先祖伝来の伝統芸だったんだとおもえ、だからこそ自分もこうしてブログをはじめたのかなとおもえたりします。

 

 それでは今回はこのあたりで、また次回にあいましょう。チャオ。