こんばんは、今日は土曜です。

 

 

 

仕事から帰宅してから例によって家事その他あれこれが、今さっきようやく

終わったです。

 

肉体労働な仕事を終えて帰宅してから4時間以上も、よくもまぁ動けるもんだ、

とかよく思いますが、普段がそういう系の仕事なせいもあり、何も苦痛を感じない、

そして動いてる時はウツが全然遠のくって点は、かなり良いことと言えましょう。

 

 

 

 

 

 

最近、大好きだったドラマ「家政婦のミタ」をまた観たくなって、

日テレでかな、ブルーレイでドラマの全編を販売してたのを過去に買ってた

のですが、

 

既に数枚紛失してあったり、あとは表面が傷だらけなせいで再生も出来ない、、

ってことで、なんと俺は、また同じやつ、全集を買い直しました。

 

それほどこのドラマは俺に取って思い入れが深い、、「今でも尚」だと思います。

ってか俺はそもそも大人になって以降「ドラマ」ってのを全く観ないし、

全編を観たドラマはこの家政婦のミタ「だけ」かもしれない。

 

も~~のすごい泣いたし感動したし、そして買い直してあとまた第一話から全部

観ましたが、「また」泣いたし感動しました。

 

もう全部ストーリーも結末も知ってるくせに、そうなっちゃうってのは、

よほどこのドラマに「すがる想い」があるから、じゃないかと思います。

 

 

意地汚い話ですが、「こんなに酷い不幸を背負ってる人が居るんだ・・」ってのを

「安心」してしまうのでしょう。

 

ただしその主人公の不幸をさげすむでもなく、笑うでもなく、その逆、

心底同情し共感し、自分を主人公に「置き換えたい」という気持ちも湧くのだろう、

 

「だから」また観たくなって、結構高価なのに全編をまた、買ってしまったのだろう、と思います。

 

 

 

人の不幸は蜜の味、っていう意味で、観たいと思ってるのとは「逆」です、

 

自分のささやかな不幸や、少しばかりの苦境では「泣けない」そのうっぷんを、

このドラマは、泣くに「後押し」をしてくれる、だからという意味での「安心」

なのだろう、と思います。

 

 

 

俺はこのドラマは多分今後も、もうすっかり内容全部知ってるくせに、何度も何度も、機会ある毎に観てしまうだろう、と思うです。

 

「映画」ではそういう観方してるやつは結構あるんですよね、

「レミーのおいしいレストラン」

 

 

 

「レディ・プレイヤー1」

 

 

 

「ジャスティス・リーグ」

 

 

 

いや、挙げると切りがないくらい数多くの映画を観てきてたので、

とても並べ尽くせないですが、

 

でもこの3つは、結構のんびりと楽しめる映画でして、ウツにも程よい加減です。

 

 

 

 

 

映画やゲーム等々、そういうのだけが己の憩いもあります。

そしてこの「家政婦のミタ」は、自分を包んでくれるドラマでもありました。