おはようです。今日は水曜日。
なんだかなぁ。。まだ真っ暗な外で、すごい雨音がしてまして、、
(きっと寒いだろうなぁ、濡れるんだろうなぁ・・)とか思いつつ仕事の支度、
って、メンドーっす。
俺は寒いの苦手、、どころか「大嫌い!」でして、
もうそれだけで「オッケー、オッケー^^;」なのに、
それに加えて「冷たい雨」だなんて、泣き面に蜂、どこじゃない、
泣き面にアルテマウェポン(FFシリーズの隠れラスボス、べらぼうに強い)
みたいなところです。
勝てるわけねぇ。。。と、
冬の雨、が一番「ヤ゙」です。(「ャ」だけじゃ済まない、濁点付けたい)
次が冬の曇り。、
そう、俺はどうせ冬ってなら「雪!」ならまだオッケーです。
ただまぁ、予報を観てみると、雨は朝のうちだけでやがて晴れ、
そのあとちょっとあたたたたかくなる様子なので、それに期待です。
さて、親の逝去から日数が毎日1つ増え続けている毎日ですが、
最近1つ、「今更」気がついたことがありまして、それが「責任の所在」。
俺は今まで、親が死んであとは自分の給料だけで自活って果たしてできるか、
多分無理だろう、、そうなったら大変だ、、困るだろうなぁ、、
みたいな、てめぇのツケなくせにそういう不安を必ず抱えての日々でした、
ふと最近、自分と問答するようなタイミング(例えば車を運転中など)に、
(そういういえば、そういうことを俺、毎日思ってたっけなぁ、、)
が浮かんだのですが、そのあと、
(親が逝く事への不安。。?、、あれ、考えてみると俺はもう、
「それを案ずる必要」がもはや「永久的に、無くなった」んだった、、)
(そだな、今後は俺は「俺のこと、だけ」を考えれば良いのであって、
そして責任の所在も全て俺「だけ」しか絡まないんだし、なれば「采配」に際して、
誰かを思い煩う可能性も、必要性も、そして責任も、「消滅」したわけだ)
と気がついて、
そして次いでは昨今、さんざ過去に気を凹ませる素材として用いてきた
生活費用面なんたらも、かなり節約を常に心がける場合、「何とかなりそうだ」、
も見えてきてしまってて、
気がいくばくか晴れやかになりつつある、ような気持ちを「今、持っている」
ことに気がついたのです。
親が自身を天に運んで行った、そして彼はその時一緒に、「それらの事柄」も
一緒に自分で「俺から取り去り」昇天の旅立ち、を始めてくれた、
生前に抱く感謝よりも、死後に抱く感謝のほうが遥かに大きい、
「こういことなのか・」
を1つ、悟ったのです。
そしてもう1つ。
気持ちを整える、のは、やぱり「自分だけができること」であって、
他人の世話になってるうちは拭えない物、ってのは、「自分しか持っていない」
この点もまた1つ、気が付き始まっています。