こんにちは。火曜の午後でございます。

 

 

 

 

親の旅立ちってのを初めて経験してあれこれ、

 

それが先週の金曜から始まってまだたった4日しか経って無いのに、

なんでだろう、まるで一週間は過ぎたような感覚でして、

 

例えば日曜の朝、昨夜を振り返るんだけどそれがまるで「3日前」のような感覚、

で、数字を数えて「え???昨日のことだったんだっけ??、うそだろ・・」

って事の連続な毎日なのです。

 

なんでこうなるんだろうね、不思議ってかまぁ、毎日が「単調じゃないから」

こうなるんだけど、人の感じ方の「錯覚」なわけです。

 

 

 

 

これで俺は1つ気がついたのです。

 

「なんで小学生なころは、1学期を「途轍も長く」感じててそれが当たり前で、

なのになぜ今は「1つ季節」がたちまち過ぎる、のか、

 

フランスの哲学者がこういう話を提唱したのだそうですけど

(ネットに書いてあった)

 

つまり、大人になったあとでも、もし毎日が変化にすごく富むことの連続であれば、

時間を長く感じることが出来るのだ、

 

と悟ったです。

 

 

 

 

 

 

いずれにせよ俺は、極貧負け組、ともするとホームレスor餓死、が可能性的にかなり高いとしても、そういう連中が世でよくニュースになりがちな、

 

「親が死んだのにそれを隠して生き続ける」

 

ことを一切せず、恥を覚悟で堂々と周囲全てに申し出をし、

道徳や社会に規範にすっかり則った形での見送り、まで、ほぼ「完了」を出来た。

 

これは1つ、俺の「勝ち」です。

 

 

 

 

やがて死ぬだろう、次は俺の番だろう、と思う中で、俺は前から言ってるけど、

「自分がやったツケは全て「自分だけで「完済!」をする」」という目標、

これを1つ達せた。

 

この言葉、今後俺の「生きる指針」となろう、と思います。

 

誰かに助けてもらうようなことは「絶対に!」そうなりたくない、

自分だけで苦しんで、さんざんつらい目にあって、それで社会に一切迷惑かけずに

静かに密かに終わる。これが目標です。

 

 

マゾヒスト・・・!w

 

 

 

 

 

 

こんな深い真っ黒な「重さ・・!」を持ってるながらも、

ど~~せB型だから認識もショボいままで、子供じみた冗談感覚ってのも、これも

死ぬまで持ち続けるでしょうけど、

 

でもこれでホントのウツにはなららずに済むだろう、を思う上では、

もはやスボラってのは「長所!」っすよ、やったぜベイベーー、

 

 

 

 

 

 

オラが県はほんとすごかった、、、ってか、他の県もそうなのでしょうけど、、

 

市営の火葬場は、なんとまぁ~~、まるで天国!っていうか、

ハリウッドでさえ、こんなすごいセットは作れないだろう、と思えるくらいの

 

「心に訴えるデザイン!」でしたし「一切気持ちにストレスを与えなぬ広さ!」

でしたし、それから「色」もだし「建築」も「技術」も、、、

 

こんな立派な建物って俺は、生まれて初めて見ました。

 

庭まで、ものすごかったのです、そしてたまたまだけど紅葉が盛りで、

しかも広さもすごくて、遠くまで鮮やかでね、、美しいったらまぁ、、、

 

釜、といえば良いのかな、も「水のなんたら」と「森のなんたら」と

名前が2つあって、オヤジは「水の」のほうで炉に入ったんだけど、

こんな落ち着いたステキな場所で熱い湯に入れるのか・・・などと、しみじみ・・

 

 

広さ、高さ、そして「豊かさ」も果てしなく、

そして我はボンビー負け組なせいで見送り役がわずか数名だったし、

日曜なのにまるっきり空いてたので、

 

周囲はわずか数名の係員しか居ないし、果てしなくの「静寂」があって、

しかも天気はたまたま「みぞれ」・・

 

紅葉が日に映えることが無いのは残念かもながらも、

「代わりに泣いてくれてるのかな、、、ごめんね、そしてありがとうね、、」

と、空に向かって心で語りかける時間もたくさんあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

火葬場って、やっぱこの程度の完成度じゃないと、ダメなのかなぁ、、

普通に「市営公園」でこういうことすればいいのに、とも思ったけど、

 

 

 

 

 

 

臨終宣告されてすぐ「これで俺は本格的にボッチだ、もう誰も居ないんだ!」

を感じつつ焦ってネットで検索して見つけた「一番安い葬式会社」さんも、

 

こんなに惨めなスタンスでの遺体処理の申し出だったのに、何1つこっちにストレス

を「微塵も感じさせぬ」まま、に、最後の最後まで「徹底して!」礼を尽くして

下さった、、

 

しかも、、1つすっかり終わったあとまで電話をしてきてくれて、事後処理で

「ありがちな問題」に関しての手伝いの申し出も、無料で参加してくれる、

ような話までもらってしまい、

 

 

 

「こ、、この人たち、、、「人間」が違う。。。!」

と、逆にビビったりしましたw

 

 

 

 

ありがたいったらありゃしない、、

「弱き」に面する上でそれを微塵も姿形に示すことが無い、からには、

「心の底から」それを思ってるであろうはずだから、

 

俺はちょっと、ってかかなり、その葬儀社のひとりひとりを「仰いで」

しまいました、

 

 

 

 

こういうことも、1つ、凄いいい経験、だった、、、

どんな人も「若い」人だったのですよ?、それなのにこの「完成度」ですから、、

 

建物もだし、そして人々もだし、ほんとびっくりだし、貴重な体験でした、

 

 

 

 

 

1つだけ言えば医者と病院。・・・w

 

こ~~れねw,俺は、

本来ならお礼として香典返しみたいなの持って、うやうやしく頭を下げに行くべき

なのでしょうけど、「や~~~めたw」ってなりましたよw

 

葬儀社の人々と比べると、病院のレン中ってのは、人間性が「低い!!」

これも1つ、こういう貴重な体験の中で、痛感したことでした。

 

 

まぁちゃんとした病院なら、教育も徹底してる点もあろうから、全然違うのでしょう

けど、、、

 

臨終の宣言してきた医者、、夕方だけど顔が「真っ赤」で、

酔ってんのか、、とかも思ったし、

 

あとはその言い方も、まるで「投げやり」で、

 

(なんだコイツ???)ってすごい思ったけど、ってか、

それを思ったんだけど、「俺はそれを今、思っているのだ」って自覚するヒマが

無かったので、あとになってから気がついたんだけど、

 

要はそういう人間性レベルの医者ってのは、遺族は「こう」だから、と

舐めてかかってるのでしょうね、、呆れたよほんと、

 

お礼を言う価値の無い相手、に、いちいち時間を取って頭を下げに向かう気は、

無い、

 

 

 

 

そもそもその病院は二度と世話に成る気はないです、

済生会のほうがず~~~~っと、誠実だからね、

 

 

 

 

 

 

そして、親の逝去、ってことで俺はほんと、すごい多くを学んだ、

ネットから。

 

ネットってすごいありがたいです、まじで「何でも書いてある」、

 

人としての器も幅も高さも、かなり広くなったっていう自負もある、

んだけど、、あの火葬場の建物ほどには、まだまだなれませぬが、

 

 

 

 

 

 

人が1つ命を終わり、、入る前は人だったけど出てきた時は骨になってて、

それを1つ1つ、「すべて」1つ箱に箸でつまんで入れて、みたいな儀式も

 

その後に遺骨を抱えて黙って帰宅するにしても、

 

その後に部屋を片付けてビンボーながらも自作で祭壇みたいな流れも、

 

その後に常に香を焚き続ける配慮を欠かさずに、オヤジに「語りかける」にしても、

 

 

黒く深く重いだけなはずなのに、すごい「豊かさ」を思わせてくれる1つ1つ

の時間、となってます。オヤジのお陰様でしょう、

 

 

 

 

 

 

今週末からは仕事に戻る予定ですが、まだまだ役所あちこちを周り続けねばならぬ、

 

なんで役所って、たった1つの報告のために「5枚以上」の「紙」が

要るんでしょうね!!、なんで???w

 

ま~~ったく、やんなっちゃうよ、昭和のころと全然変わってない・・・

 

 

岸田のせいかい!!w

 

 

 

 

 

 

ま、こういうナウでした、

 

 

 

 

 

 

あとはもう1つ、怖いことなんだけど、

 

人が「いざ」ってなると、ネットは一斉に「沈黙する」を、今回もまた!

経験してしまった、、、

 

慰めも励ましもいたわりも皆無、、それが「ネット」なのだ、を改めてまた

痛感した、

 

いくら尽くしても、結局誰も「応対」をしてくれぬのか、という世の「理」、、

 

これ今後、俺の姿勢に「変更」ってことも考えねば、とも思ったです

 

 

 

 

 

つらいなぁ、、でもそれが「ことわり(理)」か・・・