こんばんは。

 

 

 

 

「振り返る」ってのは、そのまま俺の「紹介」ってことにもなるのですけど、

自分としても「自分ってどんな「パスト」と「ナウ」があるんだろう」とか、

それを「まとめ」て自分でまた確認する、って言う点でも、悪くないことなのか、

と考えたりもしました。

 

俺じゃない人が読むと、ある意味ある分野でのあどんの自己紹介ということに

なります。

 

 

 

 

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幼児期はそこそこ幸せ、というか「普通」に育てられてきたと思う。

もちろんかなり貧乏な家庭でもあったし、両親はいつもケンカばかりで不仲で、

仲睦まじいシーンというのを「ほとんど観たことがない」が、家庭としてはそこそこまとまってたし、両親それぞれ、我々子供らを愛してくれて居たと思う。

 

 

 

 

小学校のころに「イジメ」を受けた。

ただその時代はまだ社会でも「イジメ」という単語も確立もされてない時代だった。

自分としても「俺は今、クラスからイジメを受けているのだ」という自覚も全く

無かったが、そして登校拒否等をしちゃおうとか、そんなことも全く思いつかず、

そもそも「登校拒否」という手段も「生まれてない時代」だった。

ただひたすら毎日が「何か知らないけど、、、辛い・・」という日々だった。

 

 

 

そして俺は、高校の頃でもイジメを受けた。

この際は俺は、教師に思い切ってすべてを打ち明け「今日で学校やめます」と宣言したが、その日、担任は俺の話を、放課後の夕方から夜の8時ころまで、ず~~っと

聞き続けてくれ、真っ暗に二人だけになった学校を後にして車で家に送ってもらう

途中、「腹が減った」ってことで居酒屋に入り、俺にもつ煮をごちそうしてくれた。

もつ煮は「生まれて初めて」その時に食べた。こんなに美味いものがあるのか、

と感じたことがわずか暖かかった。

 

その翌日から俺は不登校を始まり、数ヶ月学校を休んでいた。

その際俺は担任に、「俺は何か、普通の人達と違う「おかしいところ」があるように

思えるから、この点を相談できる場所を教えて欲しい」と申し出ていたが、

 

俺は「人生」とか「人間との関わり」とか「社会の中での人としての在り方」等々、

そういう指南をしてくれれる場所を期待してそう申し出ていたのだが、

担任に勘違いを与えてしまったのか、紹介された先は「精神病院」だった。

 

俺もそして親も、精神病院とはどんな場所で、どんな応対をして、どんな処方をしてくるのか、等を「全く知らず」、ただ言われるままに処方された薬を飲み始まった。

が。。。

 

この薬で俺は何1つ変わることがなく、むしろその薬を常用し始まってあと、飲まないようにすると、とてつもない激しい嘔吐、をするようになり、

この薬を飲み続けないと生活を普通に送れない状態、「薬漬け」にされてしまった。

この薬から離れるまでに10年以上掛かった。

 

その間に人生は全然崩れてしまい、相当な頭脳を持ってたのに、社会で底辺な仕事しか就けない人間、となってしまっていた。

 

 

 

 

「今の俺」が、こういう自分の子供時代を振り返ると、「情けねぇなぁ」という感想のみが先に立つ。故に俺は、自分の過去を振り返るだけでは、自分を「肯定」することが出来ない。

 

今の俺であれば、小学のころのイジメに対しては殴り合いでも始まって頑として抵抗し続けることが出来たし、高校の頃はイジメになる前に人間関係を良好に円滑に保つ手段を駆使して、クラスから嫌われることが無かったと思える。

 

そう、この2つのイジメ、どう考えても「俺が悪い」。原因を「自分で作っていた」という点は、正直に誠実に客観視すると「まさにそのとおり」だ。他に答えは無い。

なので繰り返すが、俺は過去の自分を振り返る「だけ」では、己を肯定することが出来ない。

 

 

 

「肯定する方法」を知ったのは最低でも30過ぎ、だったかと思う。

それまでは自尊を持てぬ故に、自分と自分の人生を大事にしたいと「一切!」

思わず、すっかり投げやりオンリーの快楽中心だけで生きた。

 

そしてその、肯定する方法を知ったあと、最初に感じたことは、「今更こんなこと

を知ったとて「もう手遅れだ」」という点だ。その気がついた「今から」何かを奮起するために必要な「3つの「い」」を1つも持てて無かったし、持つ気もこれも持てなかった。なので俺は、「もう今後は、このまま「流れに任せ」それだけで生き、それだけで終わるだろう」という予測だ。

 

 

 

俺が高校な頃に担任に訴えた内容「俺はどこか、人と違うちょっとおかしいところがある」という点の、「何が?」も、この頃にやっと知覚した。それは、人が考えてることや感じてることを、漠然とながらも、相手が言う前に悟ってしまうという、知覚の「過敏」だ。これは今でも相変わらずで、チャットで文字だけであるはずなのに多少漠然とながらも、文章だけでそれを読み取ってしまうことが多い。

 

これが子供時代は大きな「障害」としてしか発揮されなかった。まして元々が内向的?でも無いんだけど、、そっち系の性格や更には「無口・・」という点も相まって、上手に活かせばすごい「有効な過敏」なのに、全部悪い方向にしか作用もせず結果も出さずで過ごしてしまった。

 

 

 

これらを認知して以降俺は「上手に「生きる」には、何をどうしたら良いのだろう」を知りたいと切に願ったが、身近な人は親さえもそれらを1つも分からず、当然教えてもくれなかった。でも「知りたい」と願い続け自分だけであれこれ思索や探索を行ったと思う。

 

幸いいくつか糸口と出会える経験もあったおかげで、あるいはそれらの経験は普通の人なら誰でも同じような経験をする程度の軽微なものだったが、己が飢えてるせいで価値意識を他人よりも高く持ったせいで、熟考や吸収消化がものすごい多く早かったのだと思う。

 

更に俺は、過度に誠実であるという性向も元々持っている中で、自分や人に対するバランスの取れた見方、社会に望む上で踏まえねばいけない多々の事柄、堕落と勇敢に向かい合う方法、名誉や金銭等に関する間違った「二日酔い」を避ける方法、自尊心の築き方、等々、非常に多くの「倫理と道徳に叶う誠実なカタチ」を「自分だけで」見出すことが出来た。

 

それから俺は、こういう子供時代のせいで、「弱い」がどう辛くて苦しくて虚しくて寂しいか、を、ものすごい深く実感をした。同時にそういう「生まれ持った欠点」のせいで苦しんでる人たち、あるいは「止むを得ず与えられてしまっている逆境」のせいで辛い時間となっている人たち、への理解力や同情心というものを、普通の人達とは比べられない程度の物を持った。

 

そして同時に、20年以上願い続けた「会話力」も、1つの書籍を皮切りに会得することも出来た。

 

 

 

ここまで成るまでに「50年以上」掛かった。

 

更には、上には「良いこと」しか記してないがもちろん弊害も合わせて抱える羽目となった。それは「基本的に人間嫌い」という姿勢だ。弱って悲しんでる人に対する理解力や同情心が普通の人より遥かに強い半面、そういう弱さに不寛容な人間性、鈍感な人間性、あまつさえ「わかっているのに踏みつける」ような人間性、それらを殊の外軽蔑し憎む人間となってしまった。

 

世の「大半」はそういう人間たちである、を悟ったこともあり、俺は基本的に人を嫌うようになってしまった。

 

ただし俺はこの点は、そんなに悪いこととは思えないと感じている面もある。いくつか宗教書でも似たようなことが記されているが、善を愛するようになると同時に必ず悪を憎むようになる。むしろ悪を憎む姿勢を持てているかどうかで、その人が善を本当に愛しているかが測られる。的な内容が書いてあると思う。

 

俺の問題は「弱い」を「善」と勘違いしている点だ。ただし俺はやっぱり「止むを得ず」な経緯があるせいで持ってしまっている弱さを、「悪」とはとてもとても思えない。

 

 

 

 

さて俺は、良し悪し含めの今更これらを知ったとて、自分のために活かすなぞ文字通り「手遅れだ」という「判決」に対して、控訴や上告をしてまで抗うために必要な3つの「い」を未だに持ってないので、己のことに関しては、このまま流れやがて間もなく誰にも迷惑掛けずに埋もれて終わる、以外の道を考えていないし考える気もない。

 

プチうつもあるせいにしても仕方ないが、「もう、疲れた・・」だけが、己に対しての感じ方だ。

 

 

 

そして唯一、こんな生き方をしてきて尚、誠実を拝し続けた人間で無い限り出来ないこと、このたった1つに関してだけは、弱い人たちに凄い有用を実際に提供できた実績も相まって、「俺にしか出来ない」とも思えるうちは、続けていかねばと考える。そして、同じような人が多数世に出てきた際には俺は身を引きたいと思っている。

 

今のところは「必要とされる場所」が俺にはある、それまでは無償で身を削る、このための3つの「い」だけは存分に持っているのかもしれない、が、

必要と無くなった時期以降は、俺はまた快楽中心だけで生き・落ち・逝くことになる

 

***

 

 

 

 

 

随分難しいことを書きました、あとはこういう人生ってのは「バッチイ」ですよね、

観るのも嫌だなぁ~と、リア充の方々は間違いなく思うでしょう。

 

でも彼らは、そう思う「べき」だし、それで「正解」です。

関わってはいけない対象として、俺のようなのは「観ないほうが良い」です。

双方に不利益にしかならない。

 

 

 

こんな「バッチイ」道だけだったのに、なんで俺は自尊を豊かに保てるのか、

「頭がおかしいから」ってのが、一番正解なのかもしれないです。

 

こんな道でしか拾えないモノの数々がきっと俺に、普通の人が拠り所と出来ない箇所に価値を見出させ、それらを殊の外願い愛せるようにしてくれた、そういう自分、この尊さを己で慕えるから、そういうカタチでの自尊、

 

普通じゃない=おかしい、と定義する故に、やっぱり文字通り「おかしいから」

が正解です。

 

 

 

 

 

 

あとはところで、、やっぱ俺は文章ヘタレだなぁ、、

もちょっと上手にならんでしょうか、、、でもそういう願いはもうあまり本格的に

追求する気がありませぬが・・。