この世はまともに生きるに値しない場所だ、

 

という、俺が学生の頃に想った結論は、やっぱり「正しい」、と

どうしても思えてしまう、

 

 

 

 

 

 

虚しくてならないが、どうしてもやっぱこれは間違ってない、

 

 

 

かと言って俺は別に、世に歯向かうだとか、そういう「意気地なし」な姿勢は

持ちたくない、

 

ただひたすら世に倣ったまま、でも心は自由にさせたまま、

そのままで「終わり」たい、

 

 

 

 

 

 

 

人が人を慕う理由ですら、何から何まで動機が「利己」、

相手のために身を費やすまでの徹底の姿勢を一切、世の誰一人として

持てない、

 

俺はそういったクリーンを、「人として」の究極だ、と想い定めて生きてるけど、

それと似たような人を今まで「一度も」リアでもネットでも観たことが無い、

 

まぁ俺もリアでは、動機が利己、生活のための収入で、で生きてるんだから

俺も同じってことだ、

 

 

 

 

 

 

夢を理想にキレイに、持ちすぎているのだろう、

 

適度に「汚れた」夢をもつほうがむしろ「人間らしい」のだろう、

 

 

 

 

 

 

 

 

情けないことだ、が2つ、

 

1つは、そういういう世、のこと、

 

そしてもう1つは、

そういう世であるのに、その道からハズレた綺麗な夢を願う己の

「弱さ」

 

 

 

 

 

弱い人を思いやる、ことも所詮は「娯楽」、という考え方も、

俺はどうしても間違ってるとは、思えない、

 

 

 

 

 

 

 

 

人をあてにする、っていうことの「無意味さ」をますます感じてる昨今です、

 

やっぱ「立てる」にあっては、自分自身でしか、してはいけないのだ。

 

ほんとこの世は、「まともに生きるに値しない」。

 

かといって俺は別に、世に歯向かうようなことは逆に「人で無し」になるから

一切、したくない

 

 

 

 

 

 

 

 

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俺はそもそも、かなり前から疑心を持ってたんだ、

何かの記事や動画に「いいね」を付けるその姿勢、

 

その「いいね」ってのは、その時だけのことであって、

その人の内面まで関わる意図を一切持ってない!のに、

 

いいねを受けた相手は、内面でそれを受け止めて、

それを心でいつまでも思おうと、どうしても、してしまう、

 

 

 

いいね!の「数」欲しさに、己の人生を犠牲にして道を間違うような生き方、

これもう何度もドキュメントで我々は見てきてるはずなのに、

なぜ、未だに続いてるのだろうか、と、

 

 

 

理由は2つ、

いいね!を付ける相手も受け取る側も、姿勢が「チャラい」から、

と、もう1つは、

「商業目的」

 

この2つだ、

 

 

 

人を「推す」からには、「責任が伴う」ことを、いいね!を付ける側は一切

覚悟をしていない、

 

そしてそのいいね!を受け取る側も、

「相手はその責任を一切自覚も覚悟もしてない」

を、踏まえていない、

 

そして商業目的な側は、その2つを「己の利益のために、利用している」

 

 

 

これら3つを踏まえた上でブログを書く、ってことが、我々は覚悟せにゃならんな、

と、思うです、

 

 

 

 

 

 

ネット越しでのやり取りってのはほんと、双方の「利己」が先走る、

ものすごい「チンケ」な舞台だ、

 

双方が「責任」を意識し踏まえつつ、それで尚「いいね!」をし、受けるなら

もっとまともな世界になるだろう、

 

とも思えるです、

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

「利己を絡めあるいは含めない限り、人を無心に想うことが出来ない」、

人間とは、なんと情けない存在であろうか・・

 

俺は、、そんな存在には、なりたくないです

 

 

 

 

 

 

 

再三だけど俺は「人」はキライだ、

どんな人も必ず「利己」を踏まえるか忍ばせるかでしか

人と関わらない、

 

だから俺は基本、人って、キライだ・

 

 

 

 

徹頭徹尾、己を後回しにした上で人と関わろうとする人を、

俺は未だに「一度も観たことが無い」

 

そして俺は、そういう人、利己を捨て相手の利他だけに頑張れる、

そういう姿勢の人間に「成りたい」と思う

 

が・・・

 

やはり俺も人である以上は、

この願いは叶うまい・・

 

 

虚しいことだ・・