こんばんは。

 

 

 

今日のオラが県は、1日じゅう氷点下だったようでして、

午後3時ころになってようやく「0度」とか、そんなところだったそうです。

 

つまり定義されるところの「真冬日」ってのがそれ、なのでしたっけか、

そんな1日でした。

 

 

 

確かにすごい、空気からして冷たかった、ってよりは「痛かった」ですし、

風がまだ穏やかだったから良かったものの、

時折吹いてきた「それ」は、さらに痛かったっす、

 

指先とか感覚なくて動かないし、これじゃぁ仕事にならん、とかで、

 

でも幸い、そんな気象だったせいで、というか「おかげ」で、

予定してた仕事は「延期」となり、

今日は仕事は、軽いメニューだけでしかも早くに終わりました。

 

 

 

ただ俺はこういう「先延ばし」ってあまり好きじゃないんですよね・・。

結構大変っぽいメニューってのは、「早いうちに」終わらせてホッとしておきたい、

 

あとは、、今はどのみち「真冬」なんだもの、

寒いとかってのは「毎日同じ」であって、そんなに日で変わりもしないんだから、

 

どのみち大変なのは、いつやろうが「同じ」なんだしさ~、

とかとか、、口にも態度にも出しませんが、内心はそんなとこでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、

今日色々過ごしていた中、ちょっとした「言葉」を思いついたので、

書いておくのが良いのかな、と考えました。

 

整理整頓とか清掃とか片付けとか、そういう事柄に関して、

 

「部屋を片付けキレイにしておく、ってのは、「数時間後の自分」のために

 やるんだよ」

 

って話。

 

 

 

仕事で疲れてやっと帰宅して部屋に戻った際、そこがめっちゃ散らかってたり

汚かったりすると、って考えると、

 

これは「疲れが倍増」どころか、イライラもするし、あとは虚しくさえなったり、

そんな風になっちゃうけど、

 

 

 

逆に疲れて仕事から帰宅して部屋の灯を付けると、結構小綺麗に整頓なども

されてて、見渡した感じも何気に「スッキリ」とかしていると、

 

「数時間前の自分」にまるで

「おかえり~、よくガンバったねお疲れ~、まぁ休んでゆっくりしなよ^^」

とか言われてるかのような、そういう空想も出来そうだ、と思ったのです。

 

 

 

もちろん、「数時間後の自分」だけじゃなく、掃除を終えた直後の自分も

同じようにスッキリとか楽しくとかに、なりますが、

 

こんな言い方をすればまるで、

「次に来る時間の、そこに居る自分自身、それに対する「投資」「応援」「貢献」」

とかとか、なんかすごい意義があるのかも!

 

などと思ってくれるんじゃないかな、と、

 

 

 

数時間先に居る自分のために、っていう考え方、

これもかなり良いんじゃないのかな、と、そう思いついた、

 

という話でした。

m(_ _)m

 

 

 

 

 

※しかしまぁ・・

 何年も前まではず~~~っと、ズボラ一辺倒で、部屋なんかめちゃ   

 くちゃのデタラメなのに何も感じずに生きてきた男が、

 こんなことを言うようになるとは、、、

 

 「血は争えない」(←B型)

 ど~~せ中身は核は「変わってない」のでしょうが・・。