3日間の拘束期間がま、終了するところだけど、
気持ちの落ち方は相変わらずでもあって、でもそこそこのんびり、辛いのは仕方ないとしても、過ごすことが出来たのは、良かったと思う、
用事ってのはほんと、早めに終わらせるのが一番だよね、
この休みの間に、本来なら来週でもよかった作業的なことを、(やっぱり、しとくかな・・) と動いた昨日の朝、
それが終わってから、今まで、
「あ~~もう~~、タスクは終わらせてるしぃ~~」
っていう面持ちで時間を扱えた今日の1日は、ほんとに気楽でもあった、
***** ラップでの韻
作曲が一段落し終わったとこで、
(音楽って、「どゆこと」 なんだろうかな~)
だなんて、ボヤッと哲学チックなことを考え始まってそのあとで、「ラップ」 に想いがちょっと行ったんだ、
「ラップ」 っていう音楽は時々TVでニュースになったりしてるけど、
例えば、別に仕事をしながらの普通の一般社会人の人が、「自分の想いをラップに乗せて・・・」
みたいな内容であれこれ、ね、
そういうニュースに出てくる人たちはみんなつまりはシロウトなわけで、そして俺も曲を創るとて、ろくに楽器の演奏も何も出来ないただのシロウトなわけで、(これはホントなのです)
同じ立場ながらもちょっと想うことがある点を1つ、記してみるかと思い立ったんだけど、
***
ラップの話を聞くたびに於いては、必ず1つ、出てくる言葉があって、それは
「韻を踏む」
ってこと、
要は、曲の中で歌詞を続けていく際に、
区切りになる部分の単語の 「母音」 を、同じモノにすると、要は 『カッコイイ!』 んだ、っていう、セオリーみたいなものがあるんだ、という点を、シロウトの人たちも周知していてさ、
で、それらのニュースなんかで話の中で、「やたらと」 その、韻を踏む歌詞で歌ったりしてるわけだ、
具体的に言うとどういうことなのかな、っていうの、即興で例えばってのを考えるとね、えっと・・・
「
おいらは しがない社会人~ ♪
本音は 言わない「司会」人~
心でこんなに 想っていても~ ♪
男でそんなに 怒っていても~
言わぬも華さ~ 聞かぬも華さ~ ♪
ひがむもあのさぁ~ 泣かぬもバカさ~
」
みたいな感じかな、
洒落っ気もありながらも、でも深い話に通じるような言い回しってのを、その 「韻を踏む」 をやりながら歌えば、それが
「おぉ~~、かっけぇ~~!w」
ってなるんだろうね、
***
たださ、俺はこんな話、韻を踏むばかりにこだわって、それだけで 「かっけぇ~~!」 なんてやるその姿勢に、ものすごい違和感を感じるんだ、
(なんか勘違いしてない??)、って、
俺としても、
作曲をやってて、シロウトなものだから全然表現も何もかもハンパで甘くてズッコケで、とかな繰り返しをしてる際に、自分でも気がついてきてることなんだけど、
「手段」 ってのは、演劇なんかで例えると、あくまでも 「脇役」 とか、あるいは 「背景」 っていう場所に置かれるべきもの、
いや、違うんだ、これら 「以下」 な存在なんだよね、
演劇での例えを延長して言えば、「黒子」 だよ、
そう、曲ってのの一番奥底にある作者の 「主題」 ってのを聴衆に上手く伝えさせるための、手配役、っていう立場だ、
なので、韻を踏んでる~、スゲェ~、ってのは、まったくのトンチンカンな感慨であってさ、
作者の心ってのは、「その先」 にあるんだから、それ、見当は違えてしまったら、マズイよね、とか
***
文学界でものすごい有名な和訳、があるんだけど、
ジャン・コクトーって人が著したの詩を、堀口大學さんってお方が訳した一節があって、
「 私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ 」
っていうやつね、
(中学なころ、国語で習ったのw)
これがどうして、「世紀の名訳」 とされて、現代でも伝説になっているのか、
これは決して、「ゴロがカッコイイから~w」
では、ないと思うし、
俺は、中学で習ったこの部分しか、知らないわけだけども、
でも、堀口さんってお方は、この一節もそうだったし、その他の部分も全部きっと、
ジャン・コクトーさんってお人の内面までちゃんとわかった上で、それをしっかり表現させる為に、この都々逸チックな訳し方でってのが、ベストだろう、とか、じゃないのかな、って、
(リズミカルに読者の真心にお届け、っていう、ヤマト運輸みたいな?、あははw)
(
でももし、実は、堀口さんに直接尋ねたら、「あ~、あれ?、あはは、テキトーに飲みながら思いついたんだよ~w」 なんてことだったら、
ま、そういうことも有り得るかもだけど、
ってかなんで俺、真面目に仕切るべき話で必ず、こうやってチャチを考えるんだ、、、
)
***
韻を踏むってのは、「黒子」 に過ぎないよ、
決してカッコイイとかそういう捉え方ってのは、してはいけないさ、
ただ・・・
庶民レベルの大衆音楽として、ラップってのは存在してるっていう、その 「意義」 を考えたときには、やっぱり、
「この時点で」 カッケ~~^^、 って囃子を入れておくほうが、
ほのぼのと楽しめるってことでも、あるんだろうね、
↑これもなんだか、ほんとそう思うよ、
うん、レコード会社のプロの敏腕ディレクターとかだと、絶対にそう言うだろうな、
「 彼らが買うのは 「国語辞典」 じゃないんだぜ??、「ラップ」 なんだよ?w」
って。
ま、確かにそうだ。
***** 生きる、とは
韻を踏む、っていう点での 「芸術的位置づけ」 なんてことを考える間に、また別なことも考えはじまったりしてたんだけど、
例えばこの話で、
「あいつらはまだ若いから、韻を踏むことをカッコイイって言うんだよw」 と、人生を 「斬る」 老人が居たとする、
「そすっと、あなたはそう思わないの??」、と、ひねくれた周囲がその老人に諭そうとするかも知れない、
そして、この話を契機に、禅問答みたいなやり取りが始まって、
そして皆の酒が進むうちにやがては言い合い、喧嘩となってしまって、
・・・、あれ、そういう展開は話と関係が無い、w
***
えっと、その禅問答みたいな場所でもし、年代別の客人たちに、一人の師匠が
「 『生きる』 とは、なんぞ? 」
と、問うたとする、すると、
10代の人はもしかして、
「 楽しいことばかりじゃない、と嘆くこと 」
と答えるだろうか、
20代の人はもしかして、
「 覚悟を決めて進む決意を、褒めること 」
と答えるだろうか、
30代の人はもしかして、
「 たちまち過ぎる哀れに、慣れること 」
と答えるだろうか、
40代の人はもしかして、
「 ため息をつく己を、優しく護ること 」
と答えるだろうか、
そして・・・、50代はどうだろうね、
俺は50代だけど、俺だったらなんて答えるのかな~、って
自分のことなくせに、まるで 「他人事」 みたいに、野次馬チックに己を眺めるわけだ、
俺だったら、どう答えるんだろう??、さっぱりわかんないけど、
そして所詮、ほんと気まぐれだから、時々で答え方も全然変わるだろうし、
1つ 「普遍」 な返事って、思いつけないかもだ、俺のような人間は?
↑・・・ってのを踏まえた上で、俺だったら、もしかして
「 どれもが正解なのだと、覚悟すること 」
って返事になるんだろうか、
深いよね~、そして考え続けると変換が変わる 「不快」 にさ、
「 極めれば極めるほど、己を奈落に落とす、それが 「哲学」」
って、もしかしたら、るろうに剣心の主人公は、言うかもw
でね、例によってオチなんだけど、
この記事を後日見た俺は、ぜ~~~~ったいに、
「え~~?? 覚悟~~??、なに言ってんだコイツww」
って、自分のことを言うんだよ、
ま~~~ったく、変な男だ、ホントw
さて、時間も詰まってきたので明日の支度を、、
ここまでご覧頂き、ありがとうございました、
m(_ _ )m
