今週は仕事、予定がずっと入ってる、
生活はリズムに乗れるし、酒も飲まずに一週間過ごせるし、ミスさえしなければ良い事づくめな一週間になるかと期待、
( 「期待」 で変換したら、(✳‘௰‘ ✳) なんて顔文字が出た、なんだこりゃw )
さて、ブログも3日開けてしまった、
出来れば毎日なにかを書いてっていうのを、何年も続けていきたいっていう気持ちがあるんだけど、
ウツを言い訳にしてばかりだけど、ど~~~にも気持ちが乗らず、
さらに前回の休みなときは、俺っていう人間の核とでも言うべき(っていうと大げさだけど) 相談室、さえも、
時間がいっぱいあって十分やれたのに、気持ちが重くてダルくてとても出来ずに、1日寝たり起きたりだけになっていた、
「ついに」 俺もここまで来てしまったのかな、ついに俺は 「枯れきって」 しまうんだろうか、とかな心配もあったりして、
いつぞやの記事で書いたけど、俺っていう草花が咲かせた花から、花びらが1枚1枚散り去っていってるかのような、
すっかりしおれたそのあとで、きちんと何かの実を付けられればいいんだけど、どうだろうね、
このままだと俺は、すっかり人と関わることが嫌になって、アルプスの少女ハイジのお爺さんを思い出すんだ、
ハイジが来る前のおじいさんは、同じように人嫌いで、応対もすごいつっけんどんで、山小屋にひとりで篭って生活してたような男だったと記憶してるんだけど、
俺もそういうふうになっちゃうんだろうかな、とか、、
そして、それはそれとして、何かチラッとでも書いておこうかと、寝起きからまざ時間も経ってない、仕事に行くまで余裕もあるってことで、
頭が心が重くならぬように、、でも何か書こうかと、・・
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自分のそういう現状を確認した時に、ここで俺が思いつくのが、タイトルにある 「淋」 という文字で、
これは、どんな 「へんてこりん」 をし始まる人にも実は 『共通して』 いるものなんじゃないか、と、自分の心を俯瞰すると思えたりする、
相談室なんてやっても、自分の人生での今までを、どーにか何とか出来るものでも何でもなくて、一切それはもう変わらず残り、
周囲に 「ありがとう」 などと言われるとて、それはその場限りの話であって、相手は自分の人生にそそくさと戻っていくのみ、
その場だけで俺もその場を自分に元気づけたとて、時間が過ぎて落ち着いて一人になるころには、また 「過去」 が見え始まってくる、っていうことの繰り返し、
こんな虚しいサイクルを自分に課して、ハテハテなにが楽しいんだ?、と、ひねくれた姿勢で自分に問うと、たちまち心が 「淋」 になってしまってウツが加速する、
このせいできっと、相談室さえも、「やりたくない」 となってしまっているんだろうな、
そして、
「共通している」 っていう点で言うと例えば、すごいおこがましい話になってしまうんだけど例えば、
( ※
以下の2つの例への、それぞれへの対処法に関しては、あくまでも俺の個人的な、さらには、「幾多もあろう作戦のうちの1つ」 であること、そしてさらには、愚直な提案に過ぎない、という点をご容赦下さいね><
)
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介護や世話などに疲れきった配偶者が、離婚したいと宣言し始まってしまう時、
それを言い出した人は、自分は頑張って世話をするけど、見返りが一切見いだせずに疲ればかりが実となっていく日々、
「誰が自分を包んでくれるんだ・・」 との嘆きの声も、誰にも届けることが出来ずに、言うわけにもいかず、隠れた場所で心で泣くだけな時間、
これもやっぱり、「淋」 だよ、根っこはね。決して伴侶を嫌いになったとか、そういうことでは無いと思う。
「ほんとは伴侶を、嫌いでも何でもない」、そう、「好き」 なのさ、相変わらず、ね、
でも、「淋」 に気持ちがどっぷりになってしまったせいで、そういう 「とんちんかん」 な発案をしてしまったり、
そしてもしこういう際には、実際に離婚なんてなってしまったら、その当人もすごい傷つくはずだ、
「自分は相手を、守りきれなかった、度量の足りない惨めな人間だ」、と、自分を責め続ける材料を1つ、自分の過去に残してしまうんだからね、
こういう時は、その場だけで焦って、実際に離婚にしてしまうのではなく、(すごい後悔するはずだからね)
親族の心のサポートにもしっかり頼りながら、夫婦二人は一緒に住んでいてもいい、でも、「自分だけの空間」 を作ること、そしてその場所では 「自分の時間」 を持つこと、
何時から何時までは、「あえて」 伴侶を相手にしない!、という取り決めを二人で設けて、約束し合った上で、自分だけを包んで守って、癒してあげればいいのかな、
そして、そういう 「ひとりで向き合って、考え直せる時間」 ってのを十分持った上で、そのあとでそれでもっていう時には、
まずは離れて暮らしてみる、でも週に何日かは一緒に過ごす日も必ず設ける、など、
夫婦生活長くやってくと必ず、「気の迷い」 ってのが、あるとおもうんだよね、
その時に、「その時だけの焦り」 に任せて決断してしまうと必ず後悔をするはずだから、
一人になって十分自分を見つめた上で、自分と対話していくこと、
何度もあるであろう 「夫婦の危機」 ってのはこうやって1つ1つ、慎重に構えた上で考えを整えていくこと、ってのが大事なのかな、とか思う、
いずれにせよ、その人を焦らせてしまう根っこ、一番の理由、ってのが、「淋」、
これなんだろうな、と
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それから、またもう1つ例、
周囲が必死に片付けをしてあげるのに、すぐに部屋を散らかし放題にしてしまうような老人が居たとして、(実は俺もかなり、そんな風が有るんだよね・・)
これもやっぱり 「淋」 だと思う、なぜだ?
周囲が綺麗に片付いていると、目を向ける場所というのがどうしても限られてくる、
となると、特に静かな時間になると、目を向ける場所、特に 「心の目」 というのが、「自身」 に向かい始まる、
自分の過去、人生、やらかしてきた山ほどの失敗、悔しかった悲しかった出来事の数々、
綺麗で整った部屋では、どうしてもそういう場所に気持ちが向かい始まってしまい、不安だし辛いし、そして 「淋」しいし、、
だから 「散らかす」 んだろう、と、
周囲がゴチャゴチャしていれば、目は次から次と1つ1つに渡り歩かせることが出来て、心を落ち込ませる 「時間のスキ」 を生じさせない、つまりは 「落ち着く」 わけだ、
そして、周囲もそうやってハチャメチャであれば、
「そっか~、ハチャメチャなのは、自分だけじゃないんだね、この部屋も同じじゃん、一緒だね~^^」 などと、何かでの 「共通」 を意識もできて、孤独を誤魔化すことが出来る、
この点でもやっぱり、やってることは 「とんちんかん」 だけど、気持ちは何か理解、そして同情も出来るような気がする、
こういう時は、散らかす相手を叱るのではなく、相手の心の底にある 「淋」 を、『見つけてあげる』 こと、これで相手は、自分を包んでくれる可能性をその相手に期待し始まる、信頼し始まる、
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人の何かしらの 「とんちんかん」 ってのはこうやって、その人の 「淋」 が土台にある故に生じさせてしまうんじゃないか、
そういう考えを記そうと思ってみたわけです、
そういう人を変えるためには、そこをまずは包んだり守ったり癒したり、それを試みるということが不可欠で、
そうしてくれる人に助けられて、とんちんかんをやってたのが、 「正」 のベクトルが動機となって、人は 「変わる」 んだろうな、と
叱責や強制とかで 「負」 の動機だけ、ベクトルだけ、をいくら相手に植え付けたとて、その人は 「底から」 変わるということは絶対に有り得ない、
必ず 「正」 の動機も与えてあげること、これがすごい大事だ、
・・・と、思った。
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以上の2つの例と、俺もまたやっぱり同じなんだろうって思う、
幸い俺は、
リアルの人生では、自分の「淋」を包んだりしてくれる人ってのは一人もいないんだけど、
ネットであれこれ自分の赤裸々をやってきたおかげもあって、さらにはまず、相手の人間的な深さ大きさ、そういうのがあって、
「ネットでの距離」 ってのは人の人生においてはものすごい大きなものだけど、配慮をしてくれる人が何人か居てくれるってのが、
まず有難いよね、、
とはいえ、その配慮ってのは、「すごい遠い場所」 からのものでしか無いから、リアルに戻るとやっぱりこれからも、「相談室なんて・・」 と重くなって寝てしまうような時間がすごい増えるだろうけど、
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なので最近は、すっかりゲームとか、DVD三昧だ、
ゲームやDVDを購入するときのコツはね、数年前のものを買うこと、
値段が下手すると半額以下になってるからね、
そして、ゲームやDVDに関しては 「最新作」 なんかのCMは見ることは控えて、数年前の記事を見るといいんだ、
最新作を知っちゃうと、過去の作品はどうしてもチンケに思えてやる気もなくすから、
自分を 「競走馬」 にすること、つまりは、心の目の両サイドに黒い枠を設けて、そっちの方に目が行かないように制限してしまうのさ、
とは言っても、最新作の記事も見ちゃうんだけどさ、とくにスターウォーズとかw
ハンソロとチューバッカの出会いが今度の最新作では披露されるそうで、
あはは、ワクワク、抑えんかい~~あどん君w
では、疲れたのでここで終わって、仕事してきます、
ここまでご覧頂き、ありがとうございました、
長文駄文乱文愚文、そしてミスタイプにミス変換の数々で、ごめんなさい><