偏頭痛の悩み

子どもの頃はそうでもなかったはずなんだけど、大人になってから、頻繁に感じるようになった。

 

高校の部活動の先輩が「偏頭痛持ちでさぁ…。」と困っている話を聞いて、生まれ持っての体質なのかなぁ、苦しんでいる人も居るのだなぁ、などと考えていた覚えがあるんだけど、先天的なものじゃなくて、後天的なものなのかしら。偏頭痛って。言われてみると、よくわからない。

 

僕の場合、天気が思わしくなかったりすると、必ずと言って良いほど痛みが生じる。「雨の時に体調が優れない」と言ってる人は何人か出会ったことがあるけれども、それと似た感じ。確かに雨の日は大体体調が悪い。朝、上手く起きれなかったりするときもある。倦怠感というか。睡眠の質が悪いんじゃないかと考えることも。真実かどうかは、やっぱりよくわからないのだが。

 

近頃は「天気痛」と呼ばれる言葉が存在することを知った。「天気痛予報」なんてのもある。イマイチ体調が悪いと感じる日は調べるようになった。詳しいことはよくわかんないんだけど、気圧の変化がどうだとか、そういうのが、体調不良を招いているらしい。僕の場合は当てはまることが結構多い。100%ってわけでもないんだけど。

 

痛みの種類も人それぞれだと思うのだけど、僕は「鋭い痛み」よりも「鈍い痛み」を感じることの方が多い。「頭痛」というよりも「頭重」といった方が正しいのかもしれない。「頭重」という言葉が存在することも、偏頭痛を自覚し始めてから知った気がする。

 

・・・とまぁ、つらつらと述べてきたのだけど、ココで僕は、ハッとする。「自覚し始めたことで必要以上に『偏頭痛を発症している…。』と痛みに悩まされるようになったのではないか?」と。

 

「知らぬが仏」とはよく言ったもので、「自分は偏頭痛持ちじゃないんだー!」と、心の底から信じ切っていれば、多少の痛みを覚えても、認識に上がることはなく、すこぶる体調が良い、と思えたりするのが、人間なのではないかしら。

 

逆に、「自分は偏頭痛持ちなのかもしれない…。」と思うことで、些細な痛みも敏感にキャッチして、「やっぱり自分は偏頭痛持ちなんだ…。」と思うような情報を見つけ出してきて(確証バイアス)、実際に感じている痛み以上に、自ら、心身共に追いつめて行くような観念を持ち合わせてしまうのが、人間なのではないかしら。

 

・・・けれど、「早期発見が大切」という言葉も良く聞くし、「痛みに鈍感=善」「痛みに敏感=悪」とは一概に言えなさそうだ。むしろ最悪のケースを考えれば、長い目で見た時に、「痛みに鈍感=悪」「痛みに敏感=善」と言えるのかもしれない。

 

であるならば、僕のように、”子どもの頃は偏頭痛持ちとは感じていなかったが、大人になった今は偏頭痛持ちだと感じている”というケースの場合は、「悪」ではなく「善」だと受け取っても良いのかしら。

 

頭を捻りながら文章を書き綴ってみたけれど、しっくりくる結論は導き出せなかった模様。

 

 

 

 

 

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