運命が変わった場所

 

僕は、研究授業の「ヤマ場」であった、「トイレの便座はどう扱うか?」というテーマを生徒達に投げかけて、及第点の盛り上がりを見せてくれたことに、安堵していた。その思いもあったのか、頃合いを見て、「ありがと~、じゃあ元に戻ろか~」と声を掛けて、「まとめ」の段階へと移って行った。

 

・・・あいにくだが、ここから、記憶が、飛んでしまっている。

 

なので、まず、ハッキリと覚えている状況の話をすると、僕は、「まとめ」に割り振っていた時間を、大幅に余らせた状態で、授業の全体的な流れを終えてしまった。「あっ、まずい。このままだと、授業時間が余ってしまう…!」と気付いた頃には、時すでに遅し。最後の最後で、絶対に必要だとも思えぬ、引き伸ばし戦法(黒板を見ながら全体の振り返りをしていたはずだが、おそらく、生徒達にも分かるレベルで、狼狽しながらの補足説明になっていたはずだ)をとったが、焼け石に水・・・とは言わないまでも、鎮火させられるだけの効果は無かった。

 

この場合、どういった事態に発展するか。そう。いわゆる「放送事故」が起きるのだ。もしかすると、他の実習生の方にも、経験がある方も居られるかもしれない。「やばい、今日の授業の内容は全て伝え終えたんだけど、時間がちょっと余ってしまっている…。」といった経験が。それを僕は、あろうことか、研究授業で、犯してしまったのだ。

 

まだ、実習授業であれば、(反省するのはマストとして)ちょっとは、笑いに昇華することは出来るかもしれない。あるいは、無駄話・・・と言うと語弊があるが、今回の授業とは、直接関係の無い内容、けれども、教科全体で見れば関係は有る内容、そんな小話を展開して、難局を乗り越える、なんてことも、まぁアリなのかもしれない。少なくとも、余った時間、ずーっと、フリーズしているよりかは、何倍もマシだろう。

 

しかし研究授業となると話は別だ。周りには色々な先生方が集結している。こんなところで「ちょっと時間余ったから軽い雑談でもしますか~」なんてことは、口が裂けても言えない。だから僕は、「今日学んだ内容なんだけど~」と、特に予定していなかった振り返りタイムを設けたのだ。それでも時間は余っている。「どうしたらいいんだ…。」。必死に頭を回転させるも、名案は浮かんで来ない。それもそのはず。万策尽きた状況なのだから。

 

「・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

時間にすれば、1分も無かっただろう。いや、数十秒程度だったか。いやいや、十秒有るか無いか、ぐらいだったかもしれない。ともかく、僕は、授業の最後の最後、もう、どうすることも出来なかったので、ただただ、沈黙を続けていた。それと並行して、心の中では、「早くチャイムが鳴ってくれ…。俺を解放してくれ…。」と、願うことしか出来なかった。腕時計の秒針に目をやっては、「まだチャイムが鳴らないのか…。」と、心の中で落胆して、生徒達に、必死に取り繕ったスマイルを見せていた。あのスマイルは、人生で一番の、苦笑いだったことだろう。「『引きつった笑顔』とはこういう表情のことを指します」「」という注釈を加えるのに相応しい、苦笑いだったと思う。

 

「キーンコーンカーンコーン↑↑」

「キーンコーンカーンコーン↓↓」

 

チャイムが鳴るやいなや、僕は、「よし、終わろうか」と声をかけて、学級委員長の合図で「起立・礼・着席」を行なった。これにて研究授業は終了である。僕は何事も無かったように後片付けの作業に入った。けれども、やはり、心の中では、最後の最後、時間を埋め切ることが出来ず、放送事故を起こしてしまった事実を、悔いていたかと思われる。

 

後片付けが済んだ後、速やかにクラスを後にして、まだ近くに居られていた先生方に、ひとまず、「見に来て下さりありがとうございました」と、簡単にお礼の言葉を述べていった。授業内容に関する具体的なフィードバックは、またの機会に行なうことになっているので、ほとんどの人は、「はいはい~」などと、軽い相槌を打つだけだった。

 

その中で、一人だけ、当時の僕と、それほど年齢差は感じない人が、声を掛けて来てくれた。「ああいう時間って長く感じるよなぁ…。」と。「ああいう時間」とは、直接言われなくても、誰だって分かる。間違いなく、放送事故を起こした、あの時間のことだ。僕は、そのことに触れられた途端、「ビクッ!」と敏感に反応したのだが、その直後、「相手の方から話題に挙げてくれて、尚且つ、『長く感じるよなぁ…。』と、共感的姿勢で声を掛けてくれたことに、感謝しないといけないなぁ…。」という心持ちになった。

 

僕は、そんな思いを抱きながら、「はい…。そうなんです…。」とだけ答えた。あの時は、「色々あったけど、とにかく、やり切ることが出来たぞ…。」という気持ちだけだったので、上手い返しなんて、何も出来なかった。それでも、声を掛けて来てくれた方は、微笑みを浮かべたまま、うんうんと頷いてくれた。その適度な距離感が、僕にはとても、居心地良く感じられた。ステキな人だなぁ、こういう人になれたらいいなぁと、心底思った。なんなら、今現在も、思っている。

 

 

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