運命が変わった場所

 

「①」と「②」で、僕が、開始早々、生徒達と、どうコミュニケーションを取って行けば良いものか、思案させられたことを書いてきた。それは実習が終わる頃まで重要課題としてあり続けたのだが(というよりも、教師という職業は、それが当たり前な気もするのだが)、そんな僕に対して、相手の方から声をかけてくれた生徒が居た。

 

一番最初の声掛けは、正しく記憶していないのだが、多分、何気無い一言だったと思われる。僕は、言葉の内容うんぬんではなくて、声をかけてもらったことに、救われた心持ちになったものだ。本来は逆であるべきなのだが、それは一度、脇に置いておくとして・・・。

 

その生徒とは、実習中、色んな話を交わした。僕は相手の身の回りの話を聞くことに専念した。ココまで「私の不徳の致すところ…。」という、しみったれた内容が続いてきたが、話を聞くことに関しては「聴く力」に関心がある僕としては、心掛け一つで、傾聴の姿勢を取れる自信はあった。(自分に余裕が無いとそれもなかなか難しいものだが)

 

それが幸いしたのか、彼は、せいぜい数週間の付き合いに過ぎない僕に対しても、プライベートな話を中心に、色々なことを話してくれた。内容の詳細に関しては、多くは割愛させてもらうが、主に、学校に通っている時間以外は何をしているか、だとか、習い事は何をしているか、だとか、家ではどんな感じで過ごしているか、などなど、ざっくばらんに語ってくれた。

 

僕は、そういう「身の上話」を聞くと、他人事と割り切ることが出来ないタイプでもある。だからこそ、相手にとっては「この人は私の話をちゃんと聞いてくれている!」と思ってもらいやすいのかもしれないが、その反面、不特定多数の人の身の上話を聞いてしまうと、自分一人では抱え切れなくなって、キャパオーバーとなって、何からどう手を付けて良いのか、分からなくなってしまうところもある。

 

要するに、一長一短なのだ。

 

もちろん、自分にとって、本当に大切な人の身の上話を聞いて、自分事のように受け取り、自分事のように問題に処することは、尊いことだと思っている。なんでもかんでも他人事として軽く扱うのも、それはそれで考え物だ。断じて”唯我独尊”を奨励したいわけではないのだから。

 

しかし、物事には何事にも限度がある。今回の例で行くと、クラスに居る一人の生徒の身の上話を、親身になって聞いて、少しでも、相手の憂鬱な気持ちを和らげるのに役立つことが出来たりしたのなら、それは尊いことだ。ただ、それが、2人、3人と、増えて行ったら、どうなるだろうか?

 

僕は教師の立場で多くの生徒とプライベートに踏み入った付き合いをした経験はないので、これは想像の域を出ないけれども、まず間違いなく、キャパオーバーになると思う。少なくとも僕にはその自信がある。”丁度良い塩梅”とか”丁度良い距離感”で付き合うのが極めて苦手なタチなのだから。

 

そう。僕の場合、極論を言えば「0」か「100」で考えたいのだ。無論、この考えを教師としての振る舞いに活かしてしまうと、あっという間に”えこひいき教師”のレッテルを貼られることになるので、(言い方は悪いが)体裁を取り繕うために「公正・公平」などといった常套句を発していたが、フタを開けてみると、全くそんなことないじゃないかと、自ら辟易してしまうのも、しょっちゅうあったのだ。

 

ただ、これもまた「まぁ、それはそれ、これはこれ、なんじゃないの?」と言われれば、それまでの話でもある。確かにそうだ。「教師としての理想的な振る舞い」は、ある程度、文章化されているだろうが、それを100%実践するとなると、そう簡単なものではない。人と人とが交流し合うのだから、当然といえば当然である。

 

だが、それを簡単に割り切ることが出来ない自分が居たのも、また事実だ。思い返せば、僕が、教職に携わっている間は、そんなことを、ずうっと、ずうっと、頭の中でグルグルと、思考の渦が巻き起こっていたような気さえしてくる。

 

大学から教職大学院に進学したことで、僕は、教師としてのリアルを、学生時代の頃よりも、鮮明に思い描けるようになっていった。ただ、皮肉なことに、”理想の教師像”のイメージが、煮詰まれば煮詰まるほど、現状の自分が、なんだか、とても無力に思えてきたり、もっというと、不適格な存在として、認識するようになっていった。一言でいえば「理想と現実の乖離」であろうか。

 

理想像が漠然だったからこそ、特に打ちひしがれることなく、マイペースで、少しずつでも近付ければ良い、と思っていたのが、明確になったことによって、このままではダメだから遮二無二頑張らないと、と、ガラにもなくスパルタ的な努力を強いてみたり、かと思えば、僕の場合は頑張ったところでお里が知れている、と、すっかり意気消沈して諦めてみたり・・・。

 

まだ「教職実践演習」の項目で書きたいことがあるので、先には進まないが、ちょうどこの辺り、院生としての暮らしに慌ただしさが増してきた段階から、上述したようなメンタリティになっていった感がある。

 

それこそ、実習中の頃は、”1日1日を精一杯生きて乗り切ろう”というマインドで臨んでいたので、そこまで深く考え込むことはなかった気もするが、実習を終えてからは、将来のビジョンに思い悩む時間が、格段に増えたのは間違いない。

 

 

 

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