運命が変わった場所

 

教職大学院に入学して、程なくして、自分の中で、色々と、分かってくるものがあった。

 

言ってみれば当たり前のことだが、学生とは全く違うのだということが、肌感覚で、分かって来た。「#10」でも少し触れたが、入学式の時点で、全く毛色が異なっていた。ただその時は、時間が流れるにつれて、いわゆる”学生ノリ”的な空気感が醸成されていくのだろう、などと思っているフシもあったが、僕が思うよりも、周りの人は、意識が高かった。「意識高い系」ではない。「意識が高い」のだ。この違いをまざまざと見せつけられて、面食らった思いになったのが、今でも強く印象に残っている。

 

具体的にどう、と聞かれると、上手く答えづらいのだけど、なんというか・・・、一番、自分との違いを感じたのは、目指すビジョンが明確になっている点、だろうか。いや、もしかすると、勝手に僕の中で、拡大解釈している面もあったのかもしれない。ただ、僕の中で、少なからず、”まだ社会人になるのは嫌だなぁ…。”という思いも、無いとはいえない中での、大学院進学を選んだ”負い目”も相まって、”ビジョンの遂行に向けた最適解”として、教職大学院の入学を決断したように見える学友達は、僕の目には、一際、輝いて見えたのである。

 

以前、本シリーズのどこかで「試験会場に行くとみんな自分よりも賢く見える」と書いた覚えがある。多分、それもあったのだろう。今、思い返してみると、「いや、それはさすがに、周りの人を過大評価し過ぎてやいないか?」という、冷静な自分も出て来る気もする。ただ、当時の僕は、違った。「このまま呑気に過ごしていると『落ちこぼれ』まっしぐらだぞ…。」と、強迫観念に駆られる思いを募らせていた。

 

僕は、院生を「学生の延長期間」と位置付けるのではなく「理想の教員になるための準備期間」と位置付けるべきだと捉え直した。入学式の時は「ちょっと背筋を伸ばして…。」なんてやってみたけど、そういう、付け焼き刃的な、見せかけ的なモノじゃなくて、もっとちゃんと、どう言えばいいのか・・・、なんかこう、その人から漏れ出る”風格”みたいなものを身に付けないと、この環境でやっていくのは不可能だと、思っていた。

 

これも、今、思い返してみると、「いやいや、思い詰め過ぎだろう…。」と、セルフツッコミを入れてやりたいのだが、当時の僕は、そうは思えなかったのだ。どこを切り取っても、何一つ、敵わない気がしてならなかった。”やらなくちゃいけないのは分かっているが、どこから手を付けたら良いのかすら分からない”と思い悩むぐらい、自分には力が無いと、痛切に感じたものだ。

 

やや抽象的な話が続いたので、一つ、具体的なエピソードを出してみる。

 

僕は、大学の教職課程を経て「中学社会」「高校地理歴史」「高校公民」の教員免許状を取得した。つまり、専攻科目は「社会科」ということになる。その理由は、我ながら恥ずかしい限りであるが、”消去法”の末に決まったものだ。

 

僕は、高校1年生の担任の先生に憧れて、「将来は学校の先生になりたい!」と志すようになった。まぁこれは良くあるパターンなので詳細は割愛するとして、次に問題となったのは、「じゃあどの教科を僕は教えられるのだろうか?」だった。「高校1年の時の担任の先生のように!」とは思ったが、「この科目を教えたい!」とは、微塵も考えていなかったのだ。(ちなみに僕が憧れた先生は体育教師だったのだが、運動音痴を自称している僕にとっては、はなから選択肢にすら挙がらなかった)

 

僕は「国語・数学・英語・社会・理科」の主要5科目で、考えてみた。まず「理数系」は苦手意識が強かったので、これはアウト。となると「国語・英語・社会」が残る。「英語」は洋楽を聴くのはおろか、日本のアーティストが、英語の歌詞を歌っているだけでも、「この曲は英語が入ってるからカラオケで歌えなさそうだなぁ…。」と避けていた僕にとっては、ちょっと教えている風景が想像出来なかったので、これもアウト。そして「国語・社会」の二択となったのだが、「国語」は、嫌いじゃないし、むしろ好きな科目だったのだけど、自分が読みたいように読むきらいがあって、「読解力」のブレが大きい傾向があったので、人に教えられるようなタイプではなさそうだ、と思った。最終的に「社会」だけが残って、「まぁこれなら勉強すればなんとかなりそうかな…。」と思い、社会科の先生を目指すことに決めたのである。

 

しかし、教職大学院に進学して、社会科を専攻している院生の人達と接して、僕は、消去法で選んできて、そのまま、科目への愛情や熱意みたいなものを深めてこなかったことを、激しく後悔することになるのだった・・・。

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