捨てたいけど捨てられないもの

 

テーマをはなから否定するようなことを言って恐縮だが、“捨てたいけど”と頭では思いながら、本心本音では“やっぱり捨てたくない”と思っているのではなかろうか、と感じたことを断った上で、本題に移りたい。


例えば、子どもの頃に遊んだりしたが今は使わなくなって押し入れに埋まっているゲームやおもちゃ。使わないまま放置しているだけなら捨ててしまえば良いじゃないか、とミニマリストの方に怒られてしまいそうだ。僕自身、確かにそうだよな、とも思う。でも、捨てられずにいるまま、ずっと押し入れに埋まったままだ。なんなら、引越しのタイミングで「おー、懐かしいなぁ」なんて言って、一緒に移動していたりする始末である。


前述したように、僕自身、大掃除モードの時などは、“アレももう捨てた方が良いなぁ”と思う。ただ、その勢いで捨てられるものもあるが、やはり、腰が重たい、というのか、二の足を踏んで、そのままになるものも、数多くあるのが現状だ。


“その勢いで捨てられるものもあるが”


コレが今回のポイントなんだと思う。これは分かりやすい。“捨てたいから捨てたもの”だ。けれど、その勢いを借りても捨てられないものもあるのは確かだ。これを、今回のテーマの言葉を借りれば、“捨てたいけど捨てられないもの”と言うべきなのであろうが、僕の考えとしては、ちょっと違う。


おそらく、“捨てたいけど”と思っているのは、心の底から出た言葉ではないのだ。それこそ、ミニマリズムがブームになって、断捨離というワードを聞く機会が増えたりして、“本当は捨てた方が良いとは分かっているけれど…。”と、薄々感じている中で生まれた、言わば、本心ではない“捨てたいけど”なのではないかと僕は思う。


だとしたら、僕は別に、捨てなくても良いんじゃないか、と考える。別に何も、ミニマリズムがブームだからといって、その時流に乗る必要はない。捨てたいものは捨てる。捨てたくないものは捨てない。周りの価値観は色々あるだろうが、自分も自分で価値観がある。自分の価値基準に従って「捨てる・捨てない」の判断を行う。何も問題ないのではないか?


“これでいいのだ”


バカボンのパパの一言が身に沁みる。

 

 

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