自分とは何者かを問い続けるのが馬鹿らしくなってきた。
肩に力が入らずに無理なく過ごせて、それなりに楽しく生活できる自分が本当の自分に近いんじゃないかなと思う。
人付き合いが苦手な人間が無理して人付き合いしても、良いことなんてない。
結局誰とも仲良くなれなかった、と傷ついて終わるだけだ。
無理して何者かになろうとしなくていい。
そんなことより楽しいことを探していきたいな。
昨日彼女と人付き合いの話をしていた。
人付き合いが得意な人もいれば不得意な人もいるが、この差はどこから来るのかということを話し合った。
それで、次のような人間の5分類があるんじゃないかという結論に落ち着いた。
若干語りつくされた感があるが、ちょっと書いてみたい。こんな感じだ。
自分がサバンナ生まれの動物だとして、
①動物園にいることに気づかず、現状に満足している
②動物園にいることに気づかず、現状に不満である
③動物園にいることに気づいていないふりをしている
④動物園にいることに気づき、そこから出たがっている
⑤動物園から去り、サバンナに帰っている
ここでいう動物園とは
本当の自分であることを禁じられ、世間話が基本的なコミュニケーションのスタイルになっている場のことだ。対人関係では常に仮面をかぶることが必要で、窮屈さがあるものの人とのつながりは作りやすい。
次にサバンナとは
世間話というつまらない会話を拒否し、その人の内面や核心に迫る会話ができる場のことだ。本心を包み隠さず話すことができ、それにより深いつながりが生まれることもあれば、拒絶されてしまうこともある。
①から⑤の中で、どれが一番幸福かといえば、①と⑤だと思う。
①であれば、外の世界(サバンナ)をそもそも知らないので、外に出たいという欲求がないことことが大きい。世間話がベースとなり友人関係も作りやすく、かつその友情を心の底から信じられる。なんならその友人たちとプライベートでいろんな場所に出かけたり遊んだりして過ごし、楽しむことができる。対人関係で失敗しても、自分に原因があるなどとは微塵も考えず、運が悪かったと思える。才能があったり外見が良かったりすれば、社会の中で上昇していき、より幸せになれる可能性を持っている。いわゆる「いい人、マイルドな人」がこれにあたる。
⑤の人は、動物園の中の欺瞞に満ちた人間関係に耐えられず本音の世界へ旅立っており、そこで面白いく生々しい会話を楽しんでいる。友達なんてできないのが当たり前、ほんの1人か2人の親友さえいれば良いという達観があるので、人間関係に悩むことがない。「達観した人、自己を確立した人」と言える。
次に、幸福でも不幸でもない人が③だ。
大多数の人間がこの③に属する。自己承認欲求と競争原理に突き動かされ、本音を隠したまま虚しい世間話に延々と花を咲かせる人たちである。酒が入るか何かのはずみで本音をこぼすことがあるが、基本的には敵を作りたくないし嫌われたくもないので、当たり障りのない人間を演じる。承認されれば満たされ、少しの時間だけここが動物園であることを忘れられる。拒絶されれば傷つき、サバンナが恋しくなり、立ち直るのに時間を要する。程度の差はあれ、③の人は誰もが虚しさと鬱的な気分を抱えている。
最後に、最も不幸なのが②と④だ。
②の人は純粋だが周囲に理解してもらえていないことを嘆き、常に怒りを秘めている。暇さえあればやれ動物園の餌がまずいだの、暑い寒いだのと不満を言い続け、周囲を辟易させる。いわゆる「トラブルメーカー、悪質クレーマー」がこれにあたる。自己愛性パーソナリティ障害を患っているかもしれない。
④の人は、世間話しかできない虚構に満ちた人間関係に絶望し、本音の世界に帰りたいと切望している。しかし、「普通とは何か」という問題に思い悩まされており、虚構の人間関係に入っていけない自分が間違っているのではないかと、自分を責め傷つけてしまう。本当の自分と、周囲からの評価の差に悩む。サバンナに帰りたいが、動物園の檻のドアを開ける勇気が持てず、果てしなく苦しむ。多かれ少なかれ不安神経症を抱えている。トゥルーマンショーのように、外に出る勇気を持てれば解決するのに!
②と④の人は、それぞれ①あるいは⑤に移行するべきだ。
しかし、それができていれば苦労はしない。
簡単に移ることはできない。
長い努力が必要だ。
以上を踏まえた上で、俺はどこにいるのかというと、おそらく④だろうなと思う。
③の世界になじむことができず、⑤に行く思い切りもできない。
俺の不安神経症の原因は、どっちつかずの状況で、自己が確立していないことだと思う。
ちなみに彼女のステージは⑤だ。
⑤のロールモデルが身近にいるのは、ありがたいなと思う。
まあ、俺たちの考えた5分類はこんなところですかね。