もちろん、神経質なわけだが、神経質とは「気を使い過ぎる」ということ。

 

しかし、「気を使わないようにする」ということができないのだ。

 

それができれば楽になるが、それができないから苦しい。

 

できれば苦労はしない。

 

一方で、気を使い過ぎていると感じるのは自分だけなのかもしれないというジレンマがある。

 

はたから見れば、もしかしたら「無神経」なのだ。

 

これでは、気を使っている意味が全くない。

 

意味のない苦しみである。

 

こういったことに気付いてしまうと、余計に苦しくなるんだな。

 

だったらもう、徹底的に無神経になってやろうとすると、それがまた後で罪悪感を感じて余計に苦しい。

 

解決するためには、余計に気を使わない、その方法を見つけて実践するしかない。

 

結局は、「相手にどう思われるか」を気にし過ぎているんだと思う。

 

自意識やプライドの問題である。

 

突き詰めると、「幼児期の環境」と言えるが、今からではどうしようもない。

 

頑張る!

 

気を使わないで生きる

 

1つの目標である。

「悪い考えが頭に入ってきたらスイッチを入れ替える」

 

メンヘラ自己啓発本には必ず書いてあるんだけど、それができる人間は病まない。

 

はい、論破。

 

じゃあ、どうする?って話。

 

結論から言えば、「忙しくする」というのが正解だろう。

 

でも、常に忙しいってことなはいし、それはそれで余計に病む。

 

そして、ちょっとした隙間に邪念は入り込んで来るものだ。

 

よって、適当に忙しいのでは意味がない。

 

「スイッチを入れ替える」という単純なことが必要で、それができない。

 

まずは、これを認識して覚悟して、受け止める。

 

逃げられない、という前提を持つ。

 

そして、正解は1つではないということ。

 

その日の心身の状態によって、どうすべきかは変わるから。

 

楽しいことを考えれば邪念が消える

楽しいことを考えてもダメ

楽しいことを考えることができない

 

3つ目では、そもそもどうにもならない。

 

そういう日もある。

 

そういう日にどうするか?

 

いろいろなパターンを用意しておくことが大切だろう。

英語等の「単語を覚える」ことに顕著だが、

覚えようとしないと、結果的に覚えない。

 

「反復」といったことも大切だけど、「覚える気」が大切だ。

 

実際には、覚える気×反復によって、脳みそに刻まれる。

 

これは勉強・記憶だけではなく、人生におけるすべてがそうなのだろう。

 

やる気がなければ、集中して本気で取り組むことはできない。

 

適当にやってうまくいったとしたら、本気で集中すればもっと結果が出たのだ。

 

なんとなくやっていることは、何も残らない。

 

仕事、それも時給で計算する賃金をもらっているなら、それで生活はできる。

 

そのかわり、働き続けなければならない。

 

これは、どんな職業であっても、それが「賃金労働」であれば同じことだ。

 

医者も、弁護士も同じ。

 

まあ医者とかであれば、必然的にやりがいは発生するし、実家が太い人も多い。

 

そこまでお金にこだわる人格でもないだろう。

 

何よりも、集中が前提の商売だ。

 

しかし、そうではない仕事が世の中の9割だろう。

 

でも、ずるずる働き続けるのは、とても普通のことであり、疑う必要もないことだ。

 

だからこそ、本当に自分に向き合う必要があるはず。