日々是感謝☆~feat.0102 (仮)

日々是感謝☆~feat.0102 (仮)

人生晴れの日もあれば雨の日もあるけれど、同じ一日なら楽しく過ごしたいね!
~今が辛くても、きっといつかはよくなるはずだから。


いろいろな方のブログを読むのが、楽しみです。コメントを頂くと、とても嬉しいのですが…明らかに、業者や勧誘と思われる方からのコメントには、返信はしません。場合によっては、削除させて頂きます。ご了承下さい。

3月の初旬。


4月から始まる24時間の介護に向けての準備(書類上の手続きや環境整備など)に追われバタバタ。


3月下旬には、孫たちの七五三の後撮りを控えていたので、その日の前後数日間の、ショートステイの手続きも同時進行。


全ての手続きを終え、やっと一息つくことができました。


あとは来る日を待つだけ。


そんな状況で迎えた3月中旬。


その日も、いつも通りに1日を終え、義母の就寝の時間。


義母の就寝前のルーティンをこなし、さあ、これでおしまいという時に、歯磨きをし忘れていたことに気づき「あー!歯磨き忘れた!ごめんねーちょっとだけ口を開けられる?」と声をかけると、首を横に振る義母。


口から物は食べられなくても、朝晩の歯磨きは欠かせたくない。


でも、本人が嫌がり、口を開かないので断念。


「じゃあ、今日はこのまま寝ちゃうけど、明日の朝は念入りに歯を磨こうね」と声をかけると、うんうんと頷く義母。


私はそのまま義母の部屋を後にしましたが…結局、これが義母と交わした最後の言葉となりました。


翌朝は土曜日。大魔王さまの出勤時間は、いつもより1時間半遅い7時30分。


この日は、お弁当作りも無かったため、大魔王さまの出勤も見送らず、ぐっすりと寝込んでしまったのですが…


7時45分頃、義母の呼吸器が外れたアラート音に気付き、慌てて義母の部屋へと向かいました。


以前の記事にも書いたように、義母は四六時中、顔面に張り付いている呼吸器が嫌で、隙あらば外してしまうので「これを外したら死んじゃうんだよ!鬱陶しいだろうけど、我慢してね!」と、再三注意をしていたので、正直「またか…」と少しイラつきながら部屋に入ると…


義母は頭の上の方に呼吸器をずり上げ、穏やかな顔でベッドに横たわっていました。


寝姿も、夜中に生存確認をした時のまま。


とりあえず、呼吸器のアラートを止め、再び呼吸器を装着しようと、義母に声をかけると無反応!?


慌てて体を揺らし、口元に手をやると、呼吸をしていない?!


でも、身体は温かいし、顔色も全く普段通り。


ただ、胸に手を当てると、胸が動いていない?!


これは…

でもまさか…


慌てた私は何を思ったのか、パルスオキシメーターで、義母の血中酸素濃度を測ると…68%!


病気のせいで、呼吸器が悪くなっていた義母は、通常でも血中酸素濃度は92%ほど。でも、義母の場合は、この状態が維持できればよしとされていたのですが、さすがに68%はありえない。


信じられないけれど...義母はもう亡くなっている…。


すぐに訪問医に連絡。


医師が到着するまで、私は無意味かと思いながらも、必死に義母に声をかけながら、義母の胸を押す。


そんな状況下でも、頭の中では「心臓マッサージの時に歌う曲ってなんだっけ?どんぐりころころか?いや、うさぎとかめだ!!」


と思い出し、うさぎとかめを歌いながら、義母の胸を押す私。


今思えば…シュールな光景ですが、結局その後、義母の意識が戻ることはありませんでした。





久しぶりに自分のブログの管理ページを見たら、書きかけの記事が残っていたので今更ながらの投稿ですあせる

  ………………………………………………………

だいぶ間が空きましたが、前回の続きとなります。


義母が入院中は、病院内での勉強、訪問医師と訪問看護師の手続き、ケアマネージャーとのやり取り。


そして、自宅では介護用品の準備。その合間を見ては、孫たちを連れて実家に行ったり、遊びに連れて行ったりと、精力的に行動していました煽り


その後、9月下旬に義母が退院してからは、自宅での介護生活が始まりました。


とはいえ、この頃は、胃瘻からの栄養注入も朝だけで、昼と夜は食卓で普通の食事を摂ることができたし(柔らかく、細かくはしていましたが)1日4回の投薬も、私が準備をすれば、口から飲むことができました。


お風呂は自宅で、訪問看護師さんの手を借りましたが、トイレは家族が介助すれば、用を足すことができました。


ところが、間もなくして夕食時に体調不良を訴え、医師に連絡。誤嚥して肺炎の一歩手前ということで、口からの飲食は禁止驚き


結局、亡くなるまで、口からの飲食はできなくなりましたが、看護師さん立ち会いの元、アイスクリームだけは少し口にすることができたのが、せめての救いでした。


さて、これ以降、介護の負担が急激に増え、時には娘(02号)の手を借り、必死にお世話をしましたが…


今思うと、この頃の私の記憶はほぼ無く、ただただ肉体的にも精神的にも、限界を迎えるギリギリの状態でした。


なんたって、朝から晩まで…いや、夜間でも義母の介護、それだけならまだしも、5時30分には大魔王さまのお弁当を用意して、送り出し、一息付く間もなく、孫たちの送り出し&徒歩での付き添い登校。


帰宅後は、義母のお世話(朝の身支度、胃瘻からの食事、投薬と水分補給、オムツ交換など)


毎週2回、訪問看護師さんが来てくれるので、その対応(清拭や摘便、着替えの手伝い)


2月くらいから、オムツ交換専門のヘルパーさんが1日2回来るようになったので、その対応。


病状が進み、入浴も週1で週訪問入浴を利用することになりましたが、リビングを開放して浴槽を設置するので、事前と事後の片付け。


気力だけで動いていましたが、我が家に訪問して来る訪問看護師さんや医師が、ギョッとした顔で私に声をかけてきたので、おそらく当時の私はかなりヤバかったのかも知れませんネガティブ


以前の義母は穏やかで優しく、嫁の私にもとても良くしてくれていましたが、この頃になると、会話もできなくなり、意思の疎通も無くなり、四六時中自分の思いだけをぶつけてくるようになったので、申し訳ないけど、私にはもう無理!!という気持ちでした。


しかし、その後トントン拍子に、24時間(2交替)のヘルパーさんが来てくれることになったので、これで介護から少し解放されるー!とホッとしていましたニコニコ


ただ、この狭い家で、扉を挟んで義母が居る部屋に、ヘルパーさんとはいえ、常時家族以外の人間が居るということは、私たち家族にとっても、ぶっちゃけストレスは溜まるだろうけど、そうは言っていられないほどの、切羽詰まった状況真顔


これからは、好き勝手に歌い踊ったり、孫たちの喧嘩を怒鳴って止めたりはできないけど…このままでは私がもたないと、覚悟を決めたのです。


幸いなことに、隣近所にも事情を説明すると、どこのお宅も駐車場(夜間のヘルパーさん専用)を開放してくれると言ってくれたので、ありがたくご好意に甘えることになりましたにっこり




義母が旅立ってから一年が経ち、先日、一周忌の法要が終わりました。


あの日から一年。

過ぎてしまえばあっという間でした。


義母の病気は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)10万人に1~2人の発症率といわれる指定難病。


病気が判明したのは2024年の7月ですが、発症したのは、おそらくその2年前くらいかな?と。


最初は足のふらつきで転倒。その後も頻繁に転倒。その都度、病院で治療を受けていましたが、年相応の筋肉の衰えと診断され、リハビリにも通っていました。


それでも、症状は全く改善せず、次第に手の動きも悪くなり、介護用の箸を使うようになりました。


その頃は、通院にも付き添うようになり、医師とのやり取りは、本人に代わり私がしていましたが、義母に感じている違和感(呂律が回らないことや、むせやすいこと)を伝えると、急遽全身のMRIを撮ることになりました。


この検査で、外科的な問題がなければ、脳神経内科で、精密検査を受けることになりましたが…


結果、外科的な問題はなし。


すぐに脳神経内科のある病院を紹介されました。


数日後、脳神経内科で精密検査を受けたところ、ALSの可能性が非常に高いと言われ、神経難病の専門病院で精密検査。


そしてALS確定。


その後、1ヶ月ほど入院をしましたが、その間も私たち家族はのんびりする暇もなく、義母の入院先に通い『在宅で看病する心得』的な勉強をしました。


入院した時点で、義母の状態はあまりよくなく(主に呼吸器系)

病気の進行が早いタイプかも知れないので、胃瘻と人工呼吸器をつけるのは、今しかないと決断を急がされましたが、義母は胃瘻のみ受け入れ、人工呼吸器は「声が出せなくなるのは嫌!」と拒否しました。


これは遠回しに『延命治療はしない』ということになりますが、私たちは義母の意思を尊重することにしました。


私たちは、現在の医学では、この病気に完治はないと知り、絶望的な思いでしたが、幸いなことに?当の本人はALSという病気を、あまり理解できないようで、早く病気を治して、職場に戻りたいと意欲的な様子でした。



ここまでが、2024年9月初旬頃の話です。