龍翁余話(838)「見直したい教育勅語」

 

2020年1月に“コロナ禍”が発生して以来、約4年半ぶりに先日、東京・銀座で“論客”4人が集まった。“論客”とは、元テレビ局プロデューサーのTさん、元新聞記者のMさん、

元広告マンのSさん、それに翁の4人。みんな超後期高齢者だが、嬉しいことに4人とも超元気、現役時代を偲ばせる“猛者たち”の再会だった。とは言え、お互いに年齢相応の病気を抱えており、アルコール無し、タバコ無し、ミックスサンドとコーヒー(1人は紅茶)の(質素で極めて健康的な)昼食会だった。話題は、病気のことや現役時代の回想、趣味のことなどから始まり、やがて「経済」(円安)、「政治」(政権への檄、各党や政治家批判・国会議員定数問題など)、「国際」(ロシア・中国・北朝鮮及び紛争問題)、「国防」(尖閣諸島・北方領土・竹島問題)、そして現役時代、長年に亘って日教組と闘って来た元新聞記者のMさんが発議した「現在の教育の有りよう」に花が咲いた。今号は(Mさん発議による)「教育問題」『見直したい教育勅語』にスポットを当てることにする。

 

Mさんも翁も根っからの日教組嫌い。故にMさんと翁とは“阿吽之息・以心伝心”の仲だ。以前からMさんは「日教組(日本教職員組合)の大罪」を、こう言っていた――“子ども人権”なるものを誇張し、義務を伴わない権利意識だけを植え付け、非社会性人間を創り上げた罪。“歪んだ平等論”を子どもに押し付け、競争を否定し、切磋琢磨を排除、子どもらに低位安定を求め学力低下を招いた罪。“日本本来の道徳を排除”し、日本人としての常識・良識を否定、家庭崩壊・国家崩壊を目論んだ罪。卒業式・入学式等で国旗掲揚、国歌(君が代)斉唱に反対、政治やイデオロギーを学校に持ち込み日本の伝統文化を破壊した罪。誤った歴史観を植え付け、自虐的国民を創り上げた罪、ほかに、教師自らが高邁なる教育熱と資質向上への努力を怠り“教師の尊厳”を失墜させた罪・・・いずれも翁、同感である 。

 

(余談だが)1992年10月に翁が北朝鮮を取材した際、たまたま日教組の元委員長・槙枝元文氏(1921年~2010年)も訪朝しており、ピョンヤン(平壌)で偶然、同氏と出会う機会があった。約5分程度の立ち話であったが翁、同氏から「北朝鮮の印象は?」を訊かれた。翁、「北朝鮮の正式国名は“朝鮮民主主義人民共和国”。本当に民主主義ですかねえ、本当に人民中心の共和制(国家の所有や統治上の主権を君主ではなく人民が共有する制度)でしょうかねえ」と答えたら、同氏は難しい顔をして翁から離れて行った。実は、槙枝氏は熱狂的な金日成(1912年~1994年、北朝鮮初代国家主席)の信奉者。そして彼は北朝鮮国内で「多くの日本人は北朝鮮と金日成閣下を心から尊敬しています」と言うデタラメなスピーチを行なっていた。そのことを知っていた翁、去って行く彼の背中に向かって「槙枝さん、あなたこそ日教組の、いや、日本国にとっての大罪人だよ」と無言の怒りを浴びせたものだ。ちなみに槙枝氏は、土井たか子(1928年~2014年)社会党委員長(当時)同様「北朝鮮に拉致問題は存在しない」を言い張っていた。ところが北朝鮮(金正日)が“日本人拉致”を正式に認めたのは2002年(平成14年)9月、時の総理大臣・小泉純一郎が訪朝した時だった。槙枝氏も土井氏もまだ存命中だった。この2人、晩年、拉致問題をどのように思い過ごしたことだろうか――なお日教組は現在も立憲民主党・社会民主党(旧日本社会党)の支持団体であり、地方議会や国会に組織内議員を輩出して来ているが、近年、日本国民が「日教組の大罪」を認知し始めたせいか、教師の日教組への加入数が激減しているそうだ(2022年度では加入率約20%)。

 

余談(日教組批判)が続いた。元新聞記者Mさんの「現在の教育の有りよう」に話を戻そう。Mさんの話は文科省に設置されている有識者会議・中央教育審議会(中教審)の「令和時代の日本教育の有りよう」に始まるのだが(それも大切な話ではあるが)スペースの関係で(今号は)Mさんが主張する『見直したい教育勅語』だけを紹介することにする。それは勿論、翁が大賛成する所以であるから――(以下、Mさんのお説を引用する。)

 

「勅語」とは「天皇のお言葉」のこと。「教育勅語」と言えば“軍国主義”を連想する人が多いが、それは違う。1890年(明治23年)10月30日に明治天皇が「近代日本の教育の基本方針」として下されたお言葉であり、軍国主義とは何の関係もない。それどころか内容をよく吟味すると、世界各国(全人類)が共有すべき“人間の徳”が端的に、しかも平易に示されている。具体的に見ると「父母に孝行を」「兄弟姉妹は仲良く」「夫婦は仲睦まじく」「友人は互いに信じ合い、恭(うやうや)しく己れを保ち(尊敬の念を持って礼儀正しく接し)」、「博愛をみんなに施し」「学問を修め、実業を習い」そして「知能を発達させ、道徳性を完成させ」更に「進んで公共の利益を広め、世の中に事業を興し」「常に国の憲法を尊重して国の法律に従い」「非常事態の時には大義に勇気を奮って国家に尽くす」・・・これらのお言葉の何処に軍国主義を思わせるものがあるのだろうか?あえて言えば(前述の)日教組教育が“戦前(1945年まで)のものは全て戦争に結び付くもの”と吹き込み、子どもたちを洗脳した結果、多くの日本国民が“教育勅語=軍国主義”と錯覚してしまったのだろうか――

 

この教育勅語を発した明治天皇は、結びにこう述べておられる――「ここに示した道徳は、私の祖先である神々や歴代天皇が遺した教訓であり、天皇の子孫も国民も共に守り従うべきであり、これは過去と現在を通して誤謬(ごびゅう=誤り)はなく、これを国の内外に運用しても間違いはない」――翁も声を大にして吼えたい『見直したい教育勅語』。

 

4年半ぶりの再会は、実に有意義だった。お互いに歳はとったが論客ぶりは少しも衰えるところなく冴えていた。今号はMさんの発議「現在の教育の有りよう」だったが、次回はどんな話題が飛び出すやら。お互いの健勝を祈るや切・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。