龍翁余話(820)「うるう年」

 

1月の終わりに、月ごとのカレンダーの2月を開いたら、今年の2月は平年よりも1日多い29日まである。“ああ、今年は『うるう年』か”と気付く。西暦年号が4で割り切れる年が『うるう年』過去では2004年、2008年、2012年、2016年、2020年、そして今年の2024年・・・つまり『うるう年』は4年に1度やって来る。“うるう年はオリンピックの年”と覚えておくのもいいだろう。例外として西暦年号が100で割り切れて400で割り切れない年もあるそうだ(詳細は割愛)。なお2020年の「東京オリンピック」は”コロナ禍“のため翌年2021年(7月23日~8月8日)に延期開催されたことはご承知の通り。

 

『うるう年』でない通常の年は『平年』と言い2月は28日まで。何故『うるう年』などと言うものがあるのか――翁は暦学や天文学に疎いので学問的な説明は出来ないが、一般的に伝えられている話をまとめると――平年の年間日数365日は地球が太陽の周りを1周するのに365日かかると言うことだが(これを“公転周囲”と言うそうだ)、しかし、地球の公転周期は、正確には365日より少し多く、毎年約6時間(0.25日)の“ずれ”があるとのこと。1年当たり約6時間の“ずれ”を4年でまとめて1日分(24時間)にして調整する、それが4年に1度の『うるう年』と言うことになるそうだ。

 

日本での“暦の歴史”を調べたら、平安時代(794年~1185年)に遡る。平安時代に暦を作ったのは、“陰陽寮”(おんようりょう=天文・時・暦の編纂を担当する部署)の役人だった。彼らは呪術を使って怨霊(おんりょう)などを退治したとして(現代でも漫画や映画などで知られる)陰陽師(おんみょうじ)とも呼ばれたが、実は天文学・暦学のれっきとした科学者であった。(余談だが)2001年(平成13年)に公開された映画『陰陽師』(狂言師の野村萬斎が主人公の安倍晴明を演じた)を観たことがある。その映画は、鬼と怨霊がはびこる平安時代、時の左大臣(朝廷の最高官吏)と安倍清明との友情と、左大臣の子が呪いをかけられ、生死をさまよう病に侵された原因(その子に呪いを掛けた陰陽師)を追求・退治して左大臣の子を救った、というような物語だったように記憶しており、その映画では天文学や暦学の話は出て来なかった(ように思った)ので、翁は“陰陽師は呪術師”くらいの知識しかなかった。

 

ところで、江戸時代までは暦を作ることが出来たのは権力者だけで、暦の計算方法も機密事項だったと言う。江戸時代の初期1684年(貞享元年)、渋川晴海と言う天文・暦学者によって編纂された暦「貞享暦(じょうきょうれき)」が我が国初の和暦だそうだ。その後、時代が変わるごとに暦も(少しずつ)改暦、いずれも“太陰暦”(簡単に言うと、月の満ち欠けに合わせて1か月間の日付を決める、つまり季節に合わせた、季節感豊かな暦)で、これが1872年(明治5年)まで続いた。“季節に合わせた暦”であったから「この日は種まきをしよう」「この日は不吉だから仕事は休もう」などが細かく書かれており(特に農林漁業者の間で)重宝された。その名残として“六曜(ろくよう)”と言う「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」など吉凶を占う目安が現在でも利用されている。なお、前述のように江戸時代からの“太陰暦”は明治5年に廃止され、直ぐに西洋式“太陽暦”が採用された。それが現在でも使用されているのだが、“太陽暦”導入以来、明治政府は国民の祝日の多くを天皇に関わるものに定め、大東亜戦争(太平洋戦争」後も(天皇関連の祝日を)多く残した。例えば「建国記念の日」(2月11日)は初代・神武天皇即位の日(紀元節)、「海の日」(以前は7月20日、現在は7月第3月曜日)は1876年(明治9年)、明治天皇が軍艦ではなく灯台視察船(明治丸)に乗って東北地方を巡幸され、7月20日に横浜港に入港された日、ほかに「天皇誕生日」(2月23日)、「昭和の日」(4月29日)、「みどりの日」(5月4日)、「勤労感謝の日」(11月23日)などあるが、翁は明治以来「国民の祝日」の多くが天皇家との関りであったこと(あること)に反対するものではない。

 

せっかく『うるう年』を取り上げたのだから、何か面白いエピソードはないか、を調べてみた。(面白いかどうかは別にして)「2月29日生まれの人は4年に1度しか歳をとらない」はウソ。日本の法律では、2月29日の誕生日の人は(運転免許証更新などの行政手続きの場合は)前日の28日か翌日の3月1日を“みなし誕生日”とするそうだ。翁の周辺には、2月29日生まれの人はいないが、総務省の統計によると日本の総人口1億2242人(2023年1月現在)のうち約8万7400人が2月29日生まれ(世界では約500万人だそうだ)。

 

『うるう年』で翁が直接関係した出来事は、「日本テレビ」が四谷・麹町から汐留(新橋)の「日本テレビタワー」に移転、開業したのが今から20年前の2004年(平成16年)2月29日のこと。テレビ局の下請け映像制作会社である我が社もお祝いに新社屋へ駆けつけた。翁は個人的には古巣の麹町でお世話になって来たし、現役引退の準備をしていた時期だったので、汐留の「日本テレビタワー」は後輩のプロデューサーを担当させて翁はそれほど往来はしなかった・・・しかし、直ぐ隣のビルの大手広告代理店・電通には、親友のM氏(部長)との交流があったので週1は通っていた。『うるう年』でもう1つ思い出すのは、「東京スカイツリー」の完成が2012年(平成24年)2月29日であったこと。この時、翁はすでに引退しており直接的な関わりはなかったが、我が社では(某テレビ局の委託を受けて)2班の撮影チームを現場に派遣、約60分テープを回した(収録した)のに放送されたのはわずか5分、「いい映像があったのに」とは、チーフカメラマンの悔い言だった。

 

さて、4年に1度の『うるう年』――次は2028年、『龍翁余話』も好きなゴルフも、その年までは続かないだろう。そう思うと、2月29日生まれではない翁でも、次の『うるう年』まで“歳をとる”のを止めておこうか、とバカなことを考える。【それほどに 残り日数える うるう年】・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。