自由の自由を手に入れるってことは
自由の自由を手に入れるってことは...
高校や学校っていうものを卒業すると、ある一定化の元で自由ポイものを手に入れる。
しかし、その自由ポイものからさらに自由を手に入れるにはどうすればいいのだろうか?
答えは、分からない
どの領域で、自由?っていう概念...感覚、妄想に陥るのか?さっぱり分かりませんが...
よく、自由には、その表裏で、責任っていう概念に、ぶつかることがある。
まーそれは、人にはよるが、そういう、自由の反対の異物を手に入れないと
真の自由はゲット出来ない...のだろう(人によるが...)
突き詰めれば、自由の自由は、神仏でもゲットしたい、桃源郷なのかしれないが....
これから、ホントにゲットできる。時代になるのかもしれない
『真の等価価値交換の名の元に』
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大丈夫と言う神話
大丈夫・大丈夫・大丈夫
と呪文のように、震災からテレビやマスコミは、安心でーすと唱えている。
本当に酷い状態である。
あるMLで、理論的なことがこの頃なくなり児童のように、直感的?に行動・言動する人がふえているそうな。
なぜ、このようなことが起こるのか?
それは、理論は、安全などと深く関連性があるからなのか、信頼、信用などにゆらいするのか
はたまた、権威ある人に由来するのか...
理論的と言われている、正しいと言われる。ことが崩壊した。または、それ嘘だろっていう感じでに
なってきた感じが否めない。
理論的と言われる。頂点の人間が、理論的なまやかしを平然といい。
大丈夫・大丈夫・大丈夫と呪文を投げかけ、しかし、それが、明日になれば無効になり
また、起こった事象にたいして、大丈夫・大丈夫・大丈夫と呪文を投げかける。
こういうことが、続くと、流石に、理論的なことが無意識的に嫌になることが起こっても不思議ではない。
ちなみに、直感的というのは、積み重なった経験やそれ以上のシックスセンス的なことが直感であると私は認識
しているので、直感っていうものは、研ぎ澄まされた日本刀がブレることなく振り下ろされ、切られた竹の縁の
清々しさとその芸術的な表現というイメージがある。
よって論理的なことを捨てた人間は、動物的な投げ出し状態。しいて言えば、崩壊した錯綜した
感情であり、まさに津波をみて、ぼうぜん自失という感もある。
大丈夫と言う神話は、崩壊した。
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ここまで、この国が隠蔽でとんでもない国とわかり、ビックリだ。
人が死んでも 笑っていいとも!
