わたくしは


落語の専門家ではありません。


たまにね、

夫と演芸場に出かけたり地方寄席にでかけたり、でもたいがいは図書館で借りたCDをipodで聞きながら寝たりする程度です。


だからね、

難しいことはわからないんです。


けれど、

落語という文化は、あくまでも大衆に根ざしていて欲しいなと思うわけです。

大衆に《襲名》とかってあんまり関係ないような。


少なくてもわたくしは春風亭小朝には春風亭小朝でいて欲しい。


あー、

理由はどうアレ

林家三平は生涯林家三平だったからこそ伝説になったように思います。


桂米朝さんも最後まで米朝でいてくれそうですし。


ただ、

こぶ平さんは林家正蔵になって、噺家さんになったなと思いますけれど。


いろいろかな?

うん、

変えていい人、変えなくていい人。

それぞれなんでしょうね。

けれど小朝さんはお名前を変更するには確立しすぎてしまったような気がいたします。


なんか襲名襲名って・・・

落語という文化よりも親の権威?


あー違う。

落語に権威をつけたいのかなあとも思われ。


どんな落とし話にも、

どんな人情話にも、


無駄な権威はないほうがいい。


だってそれが・・・


落語だから。





ちょっとつっかえて二度と高座にあがらない頑固さも、一人で正座できないグダグダも、その人となりならいいじゃありませんか。

けど、

どんな大名籍でもそれにこだわりすぎる姿は滑稽でしかなく、冷ややかな笑いは生まれても楽しめはしないと知ってほしい。


いつも娘に言う言葉です。



《ひとつの方向からだけものを見てはいけません。

角度を変えてもう一度考えて。

感じたら一度考えてみましょう。

相手の人にも心はあるのです。》



わたしが、

娘にできるたった一つの贈り物でしょうか。



あ、

もっといろいろ贈ってやれよという突っ込みが四方八方から^_^;