自分に文筆の才能はないと卑下していたのとブログを書くという習慣が体から染み付いてもいないが抜け切っていた。

けど物書きをしたりものを考えているという行為はやめられていない。

最近はずっと水面にただ浮かぶように日々を意味も目的もなく過ごしていた。

世間の喧騒は流しで見て、他人の文章力や画力を妬んで、羨んで。

そこに少しの冗談が混じっていたとしても人を小馬鹿にしつつもリスペクトの意思表示をする人は、時々何を言っているのか分からなくなる。尊敬する対象には実直な言葉を選ぶべきだとつくづく自分の中で思う。そしてそれが出来ない人、あるいはしない人は自分とは違う表現で対象をリスペクトしているのだなと飲み込んで、目を向けないようにする他ない。

自分の敬愛する米津玄師様の辛かった(学生時代)時代の体験談を聞くと、泣きたくなる。僕と共通する考えを持っている。でも僕は彼とは違って言語化能力には長けていないし、仮に辛い体験を言語化する為に熟考しようにも、満足のいく形にすることはやはり難しい。彼や彼を含めた創作活動を自分の拠点とする人々は、世間である程度共通となっている認識を発言していくことで、より多くの人々の共感を得ることにこそ彼らの意義が定まってくるのだと思う。

要するに授業中に先生に質問されて、答えは分かっているけど手を挙げない、挙げれないのを僕達だとしたら彼らは積極的に挙手して自分の意見を発言する人なんかなーなんて思ったりする。

何言ってんだ。なんか文章書きたいなと思って何も考えずに打っていたらこうなってしまった。最近絵を描くのが好きになったので自分の作品を貼っておく