昨日、保健の授業で教科書をパラパラとめくって、頭を空っぽにして読んでいた。

そこで、興味深い文章を見つけた。

 健康の定義

「健康の定義」とは、一体なんなんだろうか。

どこからどこまでを健康とし、それ以降は全て不健康と看做す。そんな基準となるものは、どこにあるのだろうか。僕の読んでいた教科書によると、昭和時代、結核が蔓延していた時代は、病気でない事が「健康」と看做されており、精神的な健康状態はスルーだった。しかし、現代になると、身体的な面だけでなく、精神的、社会的な面でも良好な状態であることを「健康」と言うらしい。

「身体は健康だが、毎日疲れている人は健康と言えるのだろうか?」

僕の目に止まった一つの文章。「絶対にそんなはずない。」と自然と心の中で唱えた。

 ズル休みなんかじゃない

「ズル休み」。学校と言う、みんなが行くべき場所に、健康な状態であるのにも関わらず、休む事。

僕は昔から、周りに比べ学校を休む事が多い方だった。しかし、決して身体が特別弱いわけではない。単に、何か嫌な事がある。疲れている。そんな理由である。所謂一般的に見ると「ズル休み」と言うやつだ。しかし僕は先ほどの文章をみたいでふと思った。「ズル休みってなんだ?」

ズル休み。ずるい理由で休む。

それは本当にずるい理由なのだろうか。一般的に見て、「ズル休み」をした人は、本当は何か別の理由があったのではないのだろうか。身体は健康だったとしても、体調がよかったとしても、精神的には健康ではなかったのではないのだろうか。もう一度僕は振り返って欲しいと思う。これは僕にも言えること。

本当は別の理由で辛いことがあるのかもしれないのに、それを押し殺して、でも学校からは出席日数がどうだとか、37.5以上がどうだとか、数字の話ばかりされて、友達からは「めんどくさかったから、疲れたから休んだ」なんて言ったら冷めた目で見られ、「ズル休みだ」と罵られるから、それが嫌だから「頭痛かった」とか、「熱出てた」とか、架空の「体調面の健康の不調」を訴える。精神的な面での健康の不調が、世間的に認められていない顕著な例である。


この話については、もっと話していきたいと思う。