エンペラー聖人の嫉妬

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お久しぶりで御座います。

前回の更新から気づかぬうちに1ヶ月以上経っておりました。
もう皆さんすっかり忘れていたでしょうが
秩父リベンジ完結まであと2回くらいなので
お付き合いいただき、
ご覧頂けると、かくにありがたく存じます




それでは第7夜
スタート!











屋内に再び入る。

そこにさす光はわずかである。






気になったものは
この機械






レコードですね。


奥にはベッドが。
保健室かなにかであろうか。
外の葉樹が美しく光ってる。
 








『少女2』???

なぜだか
少女Aとプレイバックpart2が脳裏に浮かぶ。

明菜と百恵。


よくわからない




オルガンだ。
状態は良く少しの手入れでまた使えそうなほどであった。









時間割だ。
ご覧の皆さんは各々思い思いに
懐かしんだり、ぎもんに思ったりして頂きたいと思う。




次にやってきたのは体育館








見えにくいが校歌がかかれている。


















だれかがすわっていたようだ












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見上げると千羽鶴があった。
これについては納得の見解を見出すことはできなかった。





この日はずっと雨が降っていたので、

ただでさえこの廃墟は日陰の立地なのに
陽が射さず、


暗がりの写真が多めになってしまうことをお断りしておきます









この学校は校舎が三つほどあり
ここは中庭になっていたところのようだ







卒業記念牌もここで見ることができた



恒例ではあるが缶コーヒーもやはりそこにあった





ここは給食室だろうか
既にボロボロになってしまっているが
大きな釜がそこにはあった











とても綺麗な眺めである。


さて、次に進もう


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おはようございます。
秩父リベンジ第6夜、ということで
ついに今回から本丸といえる
小倉沢小中学校跡訪問について書いていきたいと思います

それではどうぞ









我々は県道から逸れた道を進むと
目の前橋がかかっていた





草木が生い茂っているため向こう側は確認することはできないが

時期が違えばこのようにみえるそうだ



この画像から分かる通り
向こう側には学校がある

しかし、調査によるとこの橋は老朽化もしており、危険と判断、
ここからの潜入は断念した。




紆余曲折あり、ついにたどり着くことができた。







正に昭和初期の建築物、といったようである
正面玄関は大変立派に作られていて
とても煌々とした面持ちである












 

中に入ってすぐ左側には
このような手作りの地形を説明する物があった。
 
当時、ここには1700人弱の人々が住み
その世帯は400程度だったそうだ

ここが閉鎖されてしまった頃にはどれくらいの人が残っていたのだろう。


廊下は長く続いており、とても良い雰囲気
である   






ひとつの教室に足を踏み入れてみると





当然机が並べられているということはなく
閑散としていたが、荒らされた跡、壊されたものなどはなく、 
大変保存状態が良いまま残されていた。








この場の治安の良さ、人々の思いが
感じ取れるようであった。





これは授業で使われていた物だろう。





なにか懐かしいような

少し悲しい気持ちが

心に広がった。




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