「空き缶と思いやり」 | 泳ぐ写真家龍之介

「空き缶と思いやり」

資源ゴミ回収の日になると、
ビールの空き缶がたくさん回収箱に出ます。
それを、多摩川の河川敷に住んでいるホームレスが
早朝集めて回っているのを目にすることができます。

その様子を見ていると、
NYに居た頃のある出来事を思い出します。

私は、ビールが大好きです。
NYに住んでいた頃、
ビールはコーラよりも安く手に入れることができました。
ですから、貧乏生活していた私でも
毎日、思う存分ビールを飲むことができました。
そうすると、
空き缶が溜まってきて、
部屋を占領するようになりました。

ある日、ゴミ袋に空き缶を満載して、
それを担いで
サンタクロースみたいな格好で、
近くのスーパーの空き缶回収窓口まで出かけました。

そこには、回収した空き缶で生活しているホームレスが
大勢並んでいました。

長時間並んだ後で、
窓口で袋を差し出すと、
これは、受け取れないと係の女性が言います。
私が持って来たビール缶は、すべて500ml缶。
回収できるのは350mlだけだと
取り付く島もありません。

途方にくれていると、
後ろに並んでいた、黒人の老人が
「500ml缶を買い取ってくれるところを知っているぜ」
と言います。
振り返ると、明らかに、ホームレスです。
虐げられて、疲れて、ぼろぼろになっている様子が
一目で分かる風体です。

「どこで買い取ってくれるんだ?」
との私の問いに
「ここから20分くらいダウンタウンに下ったところにある」
との答え。

私は、面倒くさくなって、
「この缶、全部あんたにあげるよ」
と、空き缶を満載した袋を差し出して、
その場を去ろうとしました。

その瞬間、その老人は
私のジャケットの裾を掴んで、
「俺はこんなにめぐんでもらって、それはうれしいぜ、
しかし、おまえ、今日のメシはどうするんだ?」
と、子を思う親の様な心配顔です。

私は、一瞬何を言っているのか
理解しかねましたが、
「ああ、私のことをホームレスだと思って、心配してくれているんだ」
と分かると、胸に熱いものが込み上げてくるのを感じました。

この冬を超すことができるか分からないような
よぼよぼの黒人の老人が、
他人の、その日のメシのことを心配してくれる
その、思いやりと、心の余裕に感動しました。

自分のことしか考えない人間が多いNYで
底辺に生きている老人が
得体の知れない東洋人のことを心配してくれたことに
感動しました。

「思いやり」とは、このような事を言うのだと
実感しました。

もう、その老人は生きてはいないでしょう。
しかし、
彼は、とても大切なことを
私に残してくれたと思っています。