「続・記憶」 | 泳ぐ写真家龍之介

「続・記憶」

前記事「記憶」について、読者の方から、
「過去の嫌な記憶を消す方法」についてご質問を受けました。
読まれる方に少なからず影響を与えるかもしれない内容なので、
それについて少し言及したいと思います。

私が、続けている方法、それらは、
ウィリアム・オスラー博士、マクスウェル・モルツ博士、
ジョセフ・マーフィー氏らをはじめとする医学者、
成功法則研究家らの、著書、コメント、研究レポートから、
得た情報を、私が以前から自分の環境にアレンジして、
習慣化している方法です。

残念ながら、マーフィー氏以外には、
ほとんど訳書がありません。
基礎となる知識、考え方は、ほとんど原書から得ています。
amazon.comから一部原書は入手可能です。
それから、
宗教的、儒教的道徳倫理観的な説明は
なるべくとらないように心がけています。
完全に実証的、科学的な根拠をもたせることができない領域ですが、
逆に科学的根拠だけでは、説明しきれない世界だと考えます。
しかし、
できるだけ、具体的に言葉にできるようにしました。
(前の記事で、「記憶から消す」という表現を使いましたが、
それは比喩で、記憶領域には保存されている嫌な記憶を
顕在意識に読み込ませないようにする。と解釈してください。)


まずは、
○過去の嫌な記憶に慢性的に悩んで、自己憐憫、自己嫌悪や、厭世観に陥っている自分
○嫌な記憶はすべて記憶から消して、自分を愛して、積極的に生きている自分
このどちらを選択するのか?これを決定する事だと思います。
はっきりと方向性を与えて決定しないと、
何をやっても失敗すると考えるからです。


「過去の嫌な記憶」はどんな人間でも持つものだと思いますが、
それが慢性的に思い出されて、精神的に悪影響を与ると、
肉体的にも問題が起きます。
ここでは、
慢性的に思い出されるものだけを「過去の嫌な記憶」だと定義します。

「過去の嫌な記憶」というものを分かりやすく言うと、

「脳の記憶保存領域から頻繁に顕在意識に読み込まれて映像化される
過去の嫌でつらかった時のビジュアルイメージ」

になると思います。
これを、まずは出て来てビジュアル化されないようにする
ことが、第一だと思います。

コンピュータは、人間の脳をイメージして作られたものですが、
コンピュータでは、頻繁に作業に使われるプロセスは、
常にメモリに読み込まれていて、
すぐにプロセッサ(人間の脳にあたるパーツ)
で処理されるようになっています。

頻繁に使わない処理は常時読み込まれていることはありません。
たまに使うと、読み込まれるまで時間がかかります。
ですから、
嫌な記憶を、使わない情報として、
頻繁に読み出されないようにする事だと思います。

私は「もぐらたたき」と表現していますが、
過去の嫌な経験が、脳の記憶領域から顕在意識に
読み込まれようとすると、
もぐらたたきのように、
素早く叩いて消し去ってしまうという
イメージトレーニングをしました。

トレーニングは何でもそうですが、
最初に効果が現れるのは、21日目以降だと言われています。
これはアメリカで様々な分野で実験、調査された結果です。
すから、最低21日は続けないと、効果はないと言ってよいでしょう。
もしかしたら一年かもしれません。

これをしつこく続けるということがひとつ。
安全圏内として、「夢に見なくなるまで」というのが目安です。


ふたつめは、
いつも過去のすばらしかった経験や成功体験を
思い出しては、楽しむこと。
特に寝る前が効果的だと言います。
そうすると、楽しかった記憶は、
常に、脳の記憶領域から読み出され易くなり、
顕在意識に「嫌だった記憶」より「楽しかった記憶」が
読み込まれている時間が長くなり、
次第に「嫌な記憶」は読み込まれなくなります。

「楽しかった記憶」が「嫌だった記憶」を駆逐するわけです。

私は、暇があると、好きな音楽を聴きながら、
昔の成功体験や楽しかったことを思い出しては、
ひとりニヤニヤしています。
これは効果があります。
嫌な事を思い出すより、
楽しい事を思い出す方が誰でも楽しいのは当然でしょう。


その次は、
潜在意識の特性を利用することです。
潜在意識の世界では、虚実の区別がありません。
分かりやすい例でいうと、役者さんがシナリオを読んで、
「役になりきる」と、
本当にその役の人物になってしまうという、
広く知られている事実です。
その場合、なかなか元の自分に戻れないで、
どれが本当の自分か分からなくなると言います。

役者さんは、「役になりきる」という自己暗示を、
うまく潜在意識に与えているわけです。
「役」は「虚」です。
「役」という「虚」を潜在意識は「現実」として受け取っているわけです。

潜在意識には虚実の区別がないというのは、このことです。

面白いのは「役」が時代劇のように、現実離れしたり、
自分の性格から大きく乖離していると、
役を終えて、しばらくすると自然に元の自分に戻るようですが、
自分にとって「有り得る」役だと、
その「役」が一部定着してしまうことがあるようです。

「過去の嫌な経験を忘れて前向きに生きる自分」は、
あなたにとって、
「有り得る姿」、「あって欲しい理想」
であるはずですから、
定着させるのは、とても自然な作業だと思います。


そのためのテクニックですが、

一部のポジティブシンキングの本にあるように
「私は、過去の嫌な経験を忘れてしまおう!」
と宣言したり、
頭の中で、言葉で命令を与えるというような方法や、
それを紙に書いて壁に張るというような作業はお勧めできません。

なぜかというと、

それらの作業には、一種命令調的な緊張感があるからです。
少なくとも私には、そう感じられます。
潜在意識に命令を与えるのに最大の障害は「緊張」だからです。
リラックスした時に、潜在意識は最も良く働くことが知られています。


私は具体的にこうイメージしていました。
私は高校時代の記憶を一部を除き
すべて消してしまおう(顕在意識に読み込まれない)と試みました。

高校時代、唯一楽しかった思い出は、
水球部で選手をしていた時の記憶です。
当時は室内プールはなく、
屋外の長水路で水温が18度くらいの春先から練習していました。
水は冷たく、夏が来るとうれしかったものです。
仲間たちと背泳ぎをしながら気持ちよく水に体を委ねていると、
梅雨明けした抜けるような夏の青空が
眼前にパノラマ的に展開して、
それは、まぶしくて、美しくて、 
仰向けに逆さに見るこの光景はとても官能的でした。

「プールと仲間とこの青空の光景が、私の高校時代の良き記憶のすべてです。」
そうイメージしました。
もう今では、その記憶以外に、私は何も覚えていません。

最初は、その「嫌だった何か」を思い出しそうになると、
このその記憶が読み出される前に、
現れようとする映像にすかさず「×印を」つけて、もぐらたたきにして、
この美しい「部活仲間と梅雨明けの夏の青空」
を思い浮かべるようにしました。
ですから、
中学を卒業して大学に入るまでの私の記憶は
「部活仲間と梅雨明けの青空」だけになりました。

それ以外の記憶が、記憶領域から読み出されそうになると、
今では、自動的にそのプロセスはスタック(フリーズ)して、
このビジュアルが展開するようになっています。
これが潜在意識に定着し、そのレベルで働いているということは、
嫌な記憶が、夢にも全く出て来ない。ということからも証明できると思います。
夢は潜在意識のビジュアル化と言ってもよいからです。

潜在意識は、私が今言った「プールの記憶」を
完全に高校時代の記憶の全てとして捉えているのです。

顕在意識が「事実はそうではない」と語りかけようとしても、
「潜在意識が、そうだ」と言えば、
それがまぎれもない現実になります。
これは経験してみないと分からない感覚です。

余談ですが、私の弟はオートバイ運転中にダンプにはねられて、
生死の境を彷徨い、生還しましたが、
ダンプにはねられた時の記憶が全くありません。

これは、記憶が飛んだのではないのです。
恐怖の体験が潜在意識にまで潜り込んで、
記憶領域にある衝突時の恐怖の映像が
ビジュアル化されるのを阻止しているからなのです。

彼は、「思い出そうとすると、
もやもやした映像らしきものが出そうになるが、
それに対し、体が拒否反応を示す」
と言っていることからもそれは理解できます。
これは自動的な自己防衛本能だと思います。

嫌な記憶を消すという作業は、
このように、実は、生理的、本能的にも行われている作業なのです。
これを意識的にやろうというわけです。

これは、不断のトレーニングでできることです。
理解力や、記憶力、考える力は一切必要ありません。
普通の想像力と、良きものになるという決意と、
幸せを求める強い気持ちがあれば誰でもできます。

嫌なことや傷つくことは誰にでもあることで、
そこから学ぶ事も多くあります。
しかし、
心の領域からさらに深く精神の領域まで傷つき、
慢性的に肉体的にもダメージを与えるような記憶は、
消し去った(顕在意識に読み出されないようにする)方が良いと思います。