「記憶の話」 | 泳ぐ写真家龍之介

「記憶の話」

まず、北島選手おめでとうございます。
もう、その勝負強さは分かっていたので、
金は疑っていませんでした。
で、
コメントはありません。

で、本日は、走る以外は読書してました。
そこで、
「記憶の話」ですが、
セルフイメージ研究の第一人者
マックスウェル・モルツ博士の本の中に面白い行がありました。
それは、
カナダの脳外科医が開頭手術をしているときの話ですが、
その手術は、局部麻酔のため、患者には、はっきりと意識があったそうです。
ところが、手術中、その外科医は、
患者の脳のある部分を誤って手術器具で触れてしまったそうです。

そうしたら、その患者が今までに、
全く記憶の片隅にも意識していなかった過去のできごとが、
次から次へと出てきたそうです。
「出てきた」というのは、relivedと記述してあります。
これは、ちょっと的確な日本語にできないのですが、
「再生された」というのが一番近いと思います。
ニュアンス的には、CDが再生された。という感じでしょうか。
これは、
「思い出したと」いうのとは違います。

「思い出す」というのは、過去に、かすかに記憶していたり、
頭の片隅にあるものですが、

これは、機械的にすべて記録されていたものが、
スイッチを押したら出てきた。
という意味に近いと思います。

この事実を受けて、
博士は、人間は過去に経験した事をすべて
脳の中に、記録していると結論づけています。

また、有史上のすべての人間の記憶は、共通の潜在意識として存在して、
人々が自分の過去の記憶にアクセスできるように、
その膨大な財産にアクセスできるとしています。
具体的な例として、エジソンや、作曲家のシューベルトの証言を
引用しています。
彼らは、その共通の意識の中から、
発明やメロディの啓示を受けたと証言しているそうです。
これは、フロイトも指摘していることです。
また、
ジョセフ・マーフィーも、その著作物で、同様なことを述べています。

デジャブや、前世の記憶をはっきりと意識したという人は、
私を含め、周りに大勢います。
この話を聞くと、それは大いに納得できる話です。
前世とは、自分の前世ではなく、共通の潜在意識なのかも知れません。

自然界の神秘より、ブラックホールより、もっと興味をそそられるのは
人間の記憶や意識の世界です。