「ベネチア」
1995年に2週間ほど、ベネチアに、ロケに行きました。
ローマ空港に夕方着。
ローカル便でベネチア空港に着いたのが夜9時頃。
空港から、モーターボートで、ベネチア本島に向かいました。
かすかな月の光で、おとぎの国を思わせる街のシルエットだけは確認できましたが、
何もわからないまま、船着場近くのホテルに滑り込み、
気を失うように寝込みました。
早朝、目が覚めると深い霧でした。
迷宮都市の石畳の隘路から、広場に出ると、
日の出と供に、一気に霧が晴れ、
ベネチアが、不思議なその姿を現しました。
当時は、バルカン半島では、
セルビアが、民族浄化ともいえる
虐殺を行っていた時期で、
セルビアから、アドリア海を隔てて、すぐそこにあるベネチアは
緊張に包まれていました。
街角には、自動小銃を携帯した警官が大勢、警備にあたっていました。
その光景はルネッサンスの迷宮都市には、不釣合いでした。
一日の撮影が終わると、自由時間。
撮影で訪れた骨董屋の主人から、
サンマルコ寺院のミサの時間を聞いた私は、
夕べのミサに出かけました。
サンマルコ寺院は当時工事中で、
大聖堂は、閉鎖されていました。
夕べのミサは、その脇にある、祠のような小聖堂で行われていました。
大きな重い扉を開けると、
そこには、小聖堂に通じる扉がありました。
明かりは、ろうそくだけで、
目を凝らさないと、扉が確認できないほどでした。
扉から中に入ろうとすると、
いきなり、暗闇から、自動小銃を持った警官が
行く手を遮りました。
緊張した面持ちで、イタリア語で何か言っています。
私は、恐怖のあまり、一瞬フリーズしました。
そして、
なぜか、今でもわかりませんが、
昔、修道院の聖歌隊で繰り返し歌っていたラテン語の一節を
口にしました。
「Dona Nobis Pacem」(神様我々に平和をお与えください)
警官はそれを聞くと、こわばっていた表情からは想像もできないほど柔和な笑顔になり、
私の背中に手を回して、聖堂に招き入れてくれました。
中では、ろうそくの光だけで、静かなミサが行われていました。
ミサが終わると、隣に座っていた老婦人が、私にたとえ様もない笑顔で
微笑みかけてくれました。
私は、何か、里帰りしたような錯覚に陥りました。