「祝・ソフトバンク」
と言っても、ソフトバンクホークスが優勝したのではありません。
ちょっと前に、はじめて、汐留にあるソフトバンク本社に行ってきました。
実は、ずいぶん前に書いたのですが、
1980年頃の話ですが、私は、ソフトバンクの3番目の社員でした。
まだ、カメラマンになる前に、
当時、東京に越してきたばかりのソフトバンクでバイトしていたのです。
そのころのソフトバンクは社員が、孫さん以外は2名でした。
約8畳くらいの間借りの部屋で仕事をしていました。
テーブル越しに、私は孫さんの野望をいつも聞いていました。
田舎も同じ九州。孫さんと意気投合した私は、
しばらく、この会社の成長を見てみよう。と思い、ほとんど寝ずに働きました。
ある日、夜半から雪が降り始め、オートバイで帰ろうとした私に、
孫さんは、
「頼むから、近くのホテルに泊まってくれ、今、龍之介にケガされたら
ソフトバンクはつぶれてしまう」
と言われました。
当時、M電機のSEだった実弟も、勤務が終わると、
ソフトバンクの仕事を手伝っていました。
彼が書いたプログラムは結構評判になり売れました。
私がケガをしただけでつぶれそうだったソフトバンクは、
今、低く垂れ込めた汐留の雲を天に突き抜けるビルに居を構える大企業に成長していたのです。
感動ものでした。
私と実弟が可愛がっていたG君は、SBモバイルのマーケティング部長になっていました。
しかし、彼にあった瞬間、タイムワープしたようで、
全然変わっていない彼に驚きました。
孫さんには会えせんでしたが、
孫さんも、その頃から変わっていないということでした。
ソフトバンクが今後、どうなるのかは分かりませんが、
ここまで成長した企業の創業期に関われたというのは、
自分の誇りだと思っています。