「自分の撮った写真は」
言葉で説明できないと意味がないと思います。
ニューヨークでは、ギャラリーや、出版社に売り込むために写真を見せると、
必ず写真の説明を求められました。
これはフランスも同じ。
聖書の国ですから。「はじめに言葉ありき」です。
まず言葉があってそれから写真を撮るという習慣ができてしまいました。
自分の写真を説明すると、
さらに質問が来ます。
そうすると、さらに説明が求められるわけです。
こちらは、段々と観念的に武装していきます。
特に英語で考えると、日本語的な曖昧さは許されません。
こういった作業の上に、次第に自分のスタイルとか強さがでてきます。
このプロセスを写真教育に用いた有名なアートディレクターがいます。
彼は、
その方法でリチャード・アベドンやヒロといった巨匠を育てました。
私がニューヨークで得た最も大きな収穫です。