みなさんも将来の夢について聞かれたことがあると思います。


そのときに何と答えるでしょうか?


それはもちろん、人それぞれに答えがあることでしょう。




でも、今回の私のテーマは、どんな将来を夢を持っているかは直接的なテーマではありません。


みなさんが、どんな夢を抱いているかがテーマなのです。




えっ!? 余計、分かりにくくなりましたか?


読み返してみたら、確かにそうかもしれません。


私が言いたいことは、「将来の夢は一つではない」ということなんです。


そして、「自分が直接かなえる夢である必要もない」ということ。


つまり、「自分が達成すべき夢」と「自分が属する団体が叶える夢」に分けて、将来の夢を抱こうではないか!!


そう言いたいのです。




私個人の将来の夢は、「自然界の循環のバランスを取ること」になります。


自然界の生物を大雑把に分けると「生産者(主に植物)」「消費者(主に動物)」「分解者(主に微生物)」がいることになります。


これらの3つの生物の間で、物質がやり取りされることで自然界のバランスが取れるわけですね。


今は消費者である人間が昔からの資源(原油や天然ガスなどのエネルギー)を過剰に消費してる状態です。


私は分解者である微生物を専門にしているので、この過剰に消費することによって出てきた廃棄物を微生物の力を借りて、自然界の循環の戻してあげようと考えています。


もっと簡単にいうと、「微生物の力をお借りして、自然の状態を少しでもよくしよう」。


これが私個人の将来の夢になります。



そして、私が持つもう一つの夢が「日本がワールドカップに優勝すること」なんですね。


私自身は小学校から高校まではサッカー部に所属していました。


それほど器用な方でもなく、レギュラーを取れたのは小学生のときくらいですが、それでも夢を諦めるつもりはありません。


選手ではなくても、指導者として、用務係として、はたまたクラブを支えるサポーターとして、様々な形で貢献できればいいわけです。


それは個人で叶えられない夢でも、全体として少しでもその夢に近づければいい。


そのために一体自分は何をすべきだろうか? どういう行動を取るべきだろうか?


そういったみんなで共有して見られる夢が大切ではないかと思います。



‥‥書いてみると、いつも内容がズレちゃいますが、次回からは「ワールドカップに優勝すること」に念頭をおいて、日本サッカー協会の仕事や育成などを通して、日本社会を見ていきたいと思います。



文責 龍ノ介

それでは、ニコゲーについて振り返ってみます。




「ニコゲー」って何? と思う方も多いかもしれませんので軽く説明します。


ニコゲーは株式会社スパイクが運営していたゲームサイトのことで、2010年9月14日にサービスがスタートしました。


ニコゲーのコンセプトは、「ゲームを『つくる』+『シェアする』+『ニコニコする』」というもの。


ユーザーはジェネレーターというツールを使って、手軽にゲームを作って公開することができました。


このサービスが優れていたかどうかは分かりません。


2011年4月27日に閉鎖されてしまったことを考えれば、問題が多かったサービスという見方が正解なのでしょう。


しかし、私にとってはニコゲーはとても画期的なサービスとして記憶に残っています。




私の感じたニコゲーの魅力とは何だったのか?


それは、ゲーム製作の垣根がとても低いことです。


ニコゲーのコンセプトとして、『シェアする』というものがあります。


例えば絵が得意な人が画像素材を提供し、音楽が得意な人がBGMやSEを提供し、それをみんなで共有することで、一人ではゲームが作れない人でもゲームを作ることが可能になりました。


また、ニコゲーの準備していたジェネレーターは、とても簡単にゲーム製作が行えるツールでした。


ゲーム製作サイトはどうしてもプレーヤーとクリエーターが別れてしまうのが常です。

それがニコゲーでは、誰でも使えるジェネレーターによって、プレーヤー・クリエーターの壁を感じさせずに交流し合うことができました。

これって、けっこうすごいことなんですよね。

意図的にサイト作りをしなければ、決して達成できないことなのです。


そして、ニコゲーで画期的なことは、『ゲーム』の捕らえ方が他のサイトとは革新的に異なることですね。


他のゲーム製作サイトでは、ACT、STG、RPG,ADVなどにゲームのジャンルが分かれます。


もちろん、ニコゲーのジェネレーターもACTやSTGが作成可能なのですが、その次にくるのがスライドショー、ブック、占い、クイズなどになるんですね。


スライドショーは、簡易的に動画を作成するツールであり、ブックは小説を書くことのできるツールです。


これらは、見る側はページをめくってみたり画面を眺めたりするだけでものなのです。


あれ? それってゲームと呼べるの?


そう疑問に思った方もいらっしゃるかもしれません。


たしかに、オフラインで一人で作成していたら‥‥それは、ゲームと考えるのは難しいかもしれません。


しかし、ネット上で素材やゲーム自体(コピーが可能)を多くのユーザー共有することによって、ゲームを作成すること自体が、ゲームのような娯楽として成り立つのです。


ズバリ言ってしまえば、ニコゲーの主役は、本来なら脇役のゲーム素材たちなのです。


どの素材を使うかを選択するために、いろんな素材を眺め、音楽を聴き、自分の思い描いたように設置してみる‥‥この過程をゲームの一部としているのがニコゲーなのです。


完成したゲームが面白いかどうか‥‥それは全く別の問題というわけです。




『素材が主役』というのは、ニコゲーを語る上で、とても大切なことです。


私はネット上のゲーム作製がどう行われるかネットで眺めてたことがあります。


例えば、ADVゲームの製作がネットの掲示板で行われるとき、発起人がストーリーを提示し、それに興味を持った絵師が絵を、作曲家がBGMを提供していきます。


ストーリーは壮大で、登場人物も魅力的、開発も順調に進んでいくかのように見えました。


しかし、そのゲームの製作スタッフの一人の生活ががらりと変わり、素材作りに時間がかけられなくなります。


そのうち、ゲーム製作の時間は延び、延びるたびにスタッフが減り、ゲームを完成させることすら難しくなります。


ゲームが完成しないことには、その過程で作られた素材たちは日の目を見ることなくネットの海に沈んでいくのです。


なぜなら、それらの素材は、そのADVゲーム用に作られたものなのだから‥‥。



今、私が作ってる逆転裁判2chの続編も6年以上かかってます。


前作の「逆転裁判2ch 逆転の丑の刻参り」は3ヶ月で仕上げることができたため、世に公表することができました。


しかし、今の作品は軽く見てもその4倍のストーリー分量であり、短期で済ますことができませんでした。


その結果、スタッフの連絡をとることができなくなってしまいました。


もしこのゲームを私が完成させることができなければ‥‥せっかくの素晴らしい素材たちが無駄になってしまうのです。


自分の体験や、ある掲示板のADV製作を眺めていて、本格的なゲームを作ることの大変さを学びました。


ネット上でのフリーゲームの共同制作は、実際の知り合い同士でゲームを作成する場合や同人ゲームとして作成するため、利益が発生する場合と比較すると、難しいことも多いのです。


そして、それらはゲームが主体のため、ゲームが完成しないことには始まらないのです。


私はそのことを思うたびに、考えていました。


もし、ゲーム作製よりも先にキャラクターや音楽の素材が存在していたら?


それらは、闇に埋もれることなく自己主張を始めることでしょう。


そして、そのキャラクターを生かしたゲーム製作が行われるかもしれません。


ACT、STGといったゲームシステムよりも、キャラクターや背景、BGMやSEといったゲーム世界を構築するものを先に共有していたら‥‥それらの素材は決して無駄になることはないはずです。


この私の想いを実現させてくれたのが、ニコゲーでした。


それは、ゲームというものの価値観をオンラインという観点から考え直す画期的なものでもあったのです。


新たなキャラクター、そのキャラクターが活躍するための背景やBGM、独特なSE、それらをみんなで議論しながらニコゲーの世界を広げていくことこそが、ゲームであり、とてもアクティブで楽しいものだったのです。


個々のゲームを完成体とし、その出来でゲームサイトの出来を語る考え方では、ニコゲーを理解することはできないと思います。


そして、ニコゲーのようにゲーム素材を主役にする英断を下すことも難しいのではないでしょうか。




私が熱く語ったニコゲーも、閉鎖してしまいました。


明らかな失敗に終わった以上、上記のコンセプトを実現しようと思うサイトは二度と出てこないかもしれません。


本当に残念です。



文責 龍ノ介

前回は、現実とリンクしたネット恋愛について書きました。


しかしネット恋愛の中には「現実とネット」を明確に区別している事例もあります。


例えば、オンラインゲームで登録されているキャラクター同士の恋愛、結婚などです。




こちらは、いろいろと難しい面がある前回の恋愛と比べて、ある程度「キャラを演じる」というニュアンスが強くなっています。


だからこそ、実際の恋愛のような面倒くささはないし、結婚といっても将来的に一生付き合うわけでもありません。


だから気軽に女の人に接することができる分、いつもより大胆になることができます。


それが良い魅力となって、現実世界とは違った恋愛模様を演出できるのかもしれませんね。




ご覧のとおり、上記ではマイナス面をほとんど書きませんでしたが、マイナス面がないものなど世の中にはほとんど存在しません。


やはり、人間がやっているのですからゲームでも感情は動きますし愛着を強く感じる方もいるでしょう。


ですから、「現実とネット」と割り切っている人間と、区別をつけることが苦手な人の温度差が問題になるわけですね。


まあ、実際に一方は文字通り遊び感覚なのですから、本人たち同士の問題としか言えないところが恋愛の難しいところです。


他人が正論を言って諭そうとしてもなかなかうまくいかないですもんね。




文責 龍ノ介




ネットと現実を考える上で興味深いテーマがあります。


それがネット恋愛です。


ネットがあくまでもツールであり、いろいろなタイプの人間と知り合えるのであるならば、そこから恋愛に発展することは、自然なことかもしれません。




個人的には、チャットや掲示板でコミュニケーションをとって、相手を好ましく思うことはあっても恋愛感情には発展したことはありませんでした。


もともと私が恋愛に関して情熱的ではないからかもしれませんが‥‥。


ただ、チャットで知り合って付き合ったという方や結婚されたという報告は聞いたことがあります。


実際に自分で確認したことはありませんが、そのような報告はいろいろなところで聞きますので、本当なのでしょう。


このことは、「ネットと現実を区別していない」実例になるのかもしれませんね。




ただ注意すべきは、実際に会って話すのに比べてネット上の文字を使った会話では得られる情報が少ないことです。


チャットで気が合うからといって、付き合ってうまくいくかは別問題ですし、その人がやさしい人物かどうかの判断を下すのも難しいと思います。


恋愛では一時的に周りが見えなくなることが多いので、ある程度客観的にみることが大切かもしれません。


場合によっては、いきなり遠距離恋愛だったりする場合もあり、また危険なトラブルに巻き込まれることだってあるのですから。


そういった面に気をつけて、むしろ付き合った後のコミュニケーションツールとしてネットを利用するのが、一番なのかもしれませんね。




文責 龍ノ介


今日のテーマは、ネット上の議論です。


掲示板を使って、様々な議論がなされています。


とてもささいなこともあれば、学問上の難しい話もあります。


しかし、私が思うことは、不特定多数での議論は実りが少ないなということです。


なぜそう思うのか?




議論にとって大切なことは「正しい結論」を出すことです。


その上で相手の反論は、自分の論の欠点を指摘してくれるものであり、それに対して反証できれば、より強固な論となり、実りのある議論となります。


しかし、ネット上では自分の主張を強く出しすぎて、相手にいいくるめられれば負けという風潮があります。


「論破してやったぜ!」「論破されて涙目!」みたいに勝敗をつけるために議論をするわけではないのです。


このことは、相手の顔が見えない、相手の立ち位置が分かりにくいということも関係しているのかもしれません。


また、議論の参加者が多くなればなるほど、意見の把握もしにくくなります。


不特定多数で相手が匿名だと、議論をまともな方向に導くのさえ困難になります。




上記のことは、別にネットだけに言えるわけではありません。


現実社会でも、しっかりと目的を持って議論をしないと、何も決まらないことが多いです。


その点をしっかりと認識しなければ、顔を知らない相手と話すこともあるネットで議論を行うことは難しくなるはずです。


ここでもツールの使い方が問題になっているわけですね。


ちょっとまとまりのないものになってしまって恐縮ですが、今回はこれくらいにしておきます。




文責 龍ノ介

荒らし行為の話題が続いてしまいましたね。


今回はチャットと掲示板について考えていきたいと思います。


この両者は区別はされてますが、私としては同じようなものの気がします。


文字を使って相手と意思疎通を行うものであることには違いがありません。


では、大きな違いは何か?


それは、チャットはリアルタイム性を重視し、掲示板は書き込まれる内容を重視するものということです。




チャットの持つリアルタイム性とは何か?


チャットと掲示板で違うのは、チャットでは入室、退室(またはそれに類似したもの)を行うことです。


つまり、その場(チャットをする場所)に居合わせている意思表示を行うということです。


現実で考えると、同時刻に別の場所でチャットを行っている人がいる‥‥そんな状況です。


つまり、チャットは話の内容よりもむしろその入室している時間の方がより密接に現実とリンクしているといえるかもしれません。


生活時間帯が異なる人と会う機会はグッと減ります。


また、コミュニケーションも、チャット(おしゃべり)ですから、軽いものが好まれます。


話す内容よりも、あいさつしたり会話したりといったことが重視されるわけですね。




一方、掲示板は議論したり自分の意志表示をしたりするのに向いています。


チャットではログ数(ヒトリが残した発言記録)に限りがあり、古いものが新しいものに更新されますが、掲示板の場合は内容がずっと残ります。


つまり、一度自分の意見を書いておけば、あとからそれを参照することが可能になります。


また、チャットと違って、自分の空いた時間に内容を書き込むことができるので、現実社会と折り合いをつけることが容易にできます。


私としては掲示板の方が使い勝手が良いですね。




ここまで、書いてみて改めて(っというか今さらですが)気づきましたが、ネットでのコミュニケーションの取り方は、元となるものはみんな一緒ですね。


発信者が情報を書いて、受信者が受け取る。


ただこれだけです。


そのあとに、ツールによって誰がどんな時間にそれを受け取るかが決まり、受信者がその情報に対してどんなリアクションをとるかが決まってきます。


自分がどんな特徴のツールを使っているかを把握することは、とても重要なことですよね。





文責 龍ノ介

荒らし行為自体は、やっている本人にとっては面白いのかどうか?


私自身は、中傷や罵倒を書き込んだことはありませんが普段の違ったHN(ハンドルネーム)を使って別人格を装ったことがあります。


また、他人の特徴を真似て成りすましたこともあります。


ネット上では、良く調べない限り、HNとその口調や内容でしか判断材料がないため、ほとんど気づかれることはありませんでした。


最初のうちは他の人の反応がいつもと違い、新鮮でした。


普段あまり乱暴な言葉使いをしないせいか、新しいHNでちょっとぶっきらぼうな発言をしていると同じことをいっていても相手の反応が違います。


あまり賛同を得られなくなるというか、共感を得にくくなるというか‥‥。


普段私たちは、無意識のうちに誰が発言をするかによって、その言葉の重みを判断していることが良くわかります。


成りすましに関してはその成りすました本人がくるまでばれませんでしたが、正体をを明かして謝ったあとも罪悪感が残りました。


成りすましができるということは、その人自身の存在感を薄くしてしまうことにつながり、かなり悪質な荒らし行為だと実感しました。


それまではバレルかどうかを試したいと思っただけだったので、深く考えていなかったのがいけなかったのです。




さて最初の問いの結論ですが、確かにいつもと違う面白みはありそうです。


荒らし行為とは言わば、ネット上で破壊的な演者として振舞っているにすぎず、その行為を客観的に見ることができます。


その上で相手の反応をみることになるので、相手の注意すら自分の狙ったとおりであることに満足感を覚えるのでしょう。


ただ、システム関連の荒らし行為に関しては、上記のようなものは存在しないのでどちらかというか負の感情に突き動かされてしまっているのではないかと思います。


どちらにしろ、私にとっては普段のHNを使った方がもっと楽しい時間が過ごせたことは確実で、不毛なことをしてしまったなと反省することしきりです。




最後に荒らし行為に正当性があるかないかについてですが、もちろん正当性はありません。


ネット上を現実と切り離して楽しみたい人には申し訳ありませんが、同じサービスを他の人も利用する以上、みんなが気持ちよく使うためのルールが生まれます。


ネットは、あくまでも現実の延長なのです。


「自分が楽しむためにやってるんだから、私の勝手だろう!」という意見もよく聞きます。


この意見は、「誰も自分の気持ちなんて分からないんだ!」といって周囲を悩ませる意見に非常に似ていると思います。

その発言者は、他の人の存在が写っていないの

です。


発言者は他の人に自分の気持ちを気づいてもらっていますが、発言者自身は他の人の気持ちがどれくらい分かっているのでしょうか?


自分が楽しむために好き勝手やっている人は、他の人の楽しみには目がいかないのです。


これもネットをやっていると、他の人の存在が認識しにくくなることの弊害なのだと思います。




文責 龍ノ介

なぜネット上での荒らし行為は目立つのか?


なぜ荒らし行為をしてしまうのか?




せっかく、ネットをするのだから有意義な時間にしたい。


楽しい時間にしたい、面白い時間にしたい。


そして、自分の存在をアピールしたい。


そんな思いがあるのではないかと思います。


もともと、ネットというのは自己主張が強い場所です。


「現実とネット」を分けて考えるヒトは、こう考えるのではないでしょうか。


現実世界よりも、みんなに注目される存在でありたい、と。




それでもネット上も現実の延長なのです。


ネット上に発言の場所を移しても、それで自分の発言能力自体が上がるわけではありません。


あくまでも、ツールとしてより多くのヒトに発信できるというだけです。


受信する側が興味をもってくれなくては、何にもなりません。


結局、ネット上で発言力を持っているのは現実世界でも有名なヒト、弁の立つヒト、そして面白い会話ができるヒトなのです。


むしろ、距離の垣根もなく自由競争にさらされるわけですから、目立つのはより厳しいのかもしれません。


普通にやったら、他の多くのヒトの発信の洪水に飲み込まれてしまう‥‥。


そんな世界です。




そんな中で注目されるにはどうすればいいか?


現実世界にもニュースがたくさん流れています。


良いニュースも、悪いニュースも。


どちらかがより注目されるのか‥‥それはネットでは残念ながら後者なのです。




だから、荒らし行為をしてしまうっと結論づけてしまうのは強引ですが、要因の一つではあります。


日常的な当たり障りのない言葉をかけるよりも、罵倒をあびせたほうが相手が反応してくれます。


ネットは、双方向性の情報をやり取りなので、反応がなければネットをやる意味が薄れてしまいます。


毒にも薬にもならない存在になるよりは、憎まれっ子としてネット社会に君臨できた方がいいのでしょう。


また、ネットではチャットや掲示板など不特定多数の人間が、情報を共有してコミュニケーションをとることが多いです。


その上で、卑猥なことを書き込む、たくさん書き込みをしてログを流すなどの行為をすれば、大切な情報が流れたり、見つけにくくなってしまいます。


他の人にとっては、ツールの問題点を突いた荒らし行為は、正常なコミュニケーションを妨げるので無視できないのです。




長くなったので、続きは次のエントリーで。



文責 龍ノ介

ネットを利用していると、必ず遭遇することがあります。


それは荒らし行為です。


チャットでも掲示板でも無意味に相手を侮辱、挑発する言葉を投げかけたり、発言を多くして会話文を流してしまったり、アクセスを集中させて回線をつなぎにくくしたり‥‥。


これらの行為はなぜ起こるのでしょうか。




実際に現実をみても、こういった迷惑行為はあるのです。


例えば、ゴミのポイ捨て、狭い通路での立ち話、車の違法駐車‥‥ただそれらのいくつかは他人に注意されますし、いくつかは法律的に罰せられます。


その注意は、きちんと本人に向けて為させるものですから、注意を受けた人の評判を落とすことになり、罰せられれば罰金を払うことにもなります。


つまり、相手に迷惑をかけることはその人にとってもリスクなんですね。




ネットでは、ネットを利用しているユーザー自身に対するリスクが少ないと感じる人が多いのかもしれません。


荒らし用のHN(ハンドルネーム)を用いれば、規制されればそのHNを放棄すればいいだけですし、ある場所にいけなくなったら、他の場所にいけばいいだけです。


ネット上に登録した分身の立場は悪くなるかもしれませんが、切り捨ててしまえばいいだけなのです。


私は、むしろなぜネットでは迷惑行為が目立つのか、またはネットでも迷惑行為をしてしまうのかに注目すべきだと考えています。


それらは、次のエントリーで考察していきたいと思います。




文責 龍ノ介

チャットにはまっていたといってもいい私が、チャットから距離を置くきっかけになる出来事がありました。


それは、ネットだからこその出来事なのかもしれません。


外に出なくても知り合いを作ることができるという利点を生かして、チャットを利用している人がいます。


例えば‥‥そう、入院中の人とか。





自分が良く行くチャット(この状態を常連になったといいます)に、小学生の男の子が来るようになりました。


その子は、自分で小学生だとチャットで話していたのですが、発言の内容、興味対象を考慮してみると確かに小学生のようでした。


話を聞いてみると、彼は入院中の子で大きな手術をひかえているようでした。

手術に対して尻込みしてる彼に対して、みんな温かな励ましの言葉をかけていました。


そして‥‥手術当日を過ぎてから彼の書き込みが途絶えました‥‥。


いつ来るかと心配していたとき、彼の関係者を名乗る人物から、手術が失敗したという内容の書き込みがありました。


「手術前日まで良くしてくれてありがとう」と‥‥。





結局、上で書いたことは本当のことかどうか分かりません(ウソの方がうれしいですよ‥‥)。


ただ本当のことなら、ネットが効果的に使われた事例の一つになるのかもしれません。





ネットはたくさんの人との出会いをもたらします。


その中には悪質なイタズラや他人に対して意味もなく罵倒するような人もいます。


そして‥‥いろいろな問題を抱えた人との出会いもあります。


昔から、私自身はネットと現実を分けたくはないなと考えていました。


しかし、ネット上での人間関係を大切にしたいと思えば思うほど、その精神的な負担が大きくなっていきます。


そのことを分かっている人は、こう言います。


「ネットと現実を区別して、現実の家族や友人を大切にしなよ」




遠くの親戚よりも近くの隣人。


距離感の概念がなくなるネットだから起こる出来事。


その現実での割り切り方が出来ないときには、「ネットと現実」を分けるというのは至極もっともなのかもしれません。


しかし、それでも私はまだネットというツールの利点と欠点を把握していないだけだと思うのです。





文責 龍ノ介