ご機嫌よろしゅうございます。
斗星 学です。
ブログは自己紹介以来の執筆です。
まだ不慣れではありますが、皆さんにお楽しみいただけるように工夫していきたいと思います🙏
もうすぐ6月、梅雨も次第に近づきつつあります☔️
今回はそんな長雨の時期にぴったりの和歌を一首紹介します。
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時によりすぐればたみのなげきなり
八大竜王雨やめたまへ
(『金槐和歌集』源実朝)
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「雨はありがたいものですが、大雨で民が嘆いています。八大竜王よ、どうか雨をしずめてください」という内容です。
源実朝が洪水に苦しむ庶民を思い、寺の本尊で一人祈っていた、その時の和歌です。
八大竜王(龍王)とは仏法を守護する龍神です。日本で龍は「水の神様」として知られています。そういうわけで実朝もお祈りしているのです。
源実朝は鎌倉幕府三代将軍でありながら、和歌の名人でもありました。和歌の先生はあの藤原定家。『新古今和歌集』「百人一首」の編者です。
つまり、武士のトップが、都の大物歌人に歌を習っていたのです!
それにしても、なぜ実朝は祈願だけではなく、龍王に向けて和歌を詠んだのでしょうか?🤔
ヒントは『古今和歌集』仮名序(序文)にあります。そこには、「力をも入れずして天地をも動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ…」とあります。
「和歌は神を感動させる」というこの思想から、「優れた和歌を詠んで神を味方につけ、ピンチを切り抜ける」という物語(歌徳説話)も多く作られました。
さて、龍の話に戻しましょう。
鎌倉時代の文学作品には「龍」を使った表現が多く、そのほとんどがやはり「水」に関係しています。実朝の和歌は雨でしたが、海に関わる文脈で用いられることももちろんあります🌊
「水あるところに龍あり」と断言できるでしょう。海に囲まれた島国・日本にとっては、「日本に龍あり」と言い換えることもできそうですね。
そんな時代の文学者たちは「龍」にどのようなイメージを託したのか?
今後も研究を続けていきたいところです。
かなりの長文になってしまいました。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。
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