ここ最近病床で過ごしていると聞いていた矢先の事で驚いた。
私も帰って墓参りにいかなければなどと呑気な事を考えていたのが急にドタバタ慌てて高速バスで帰る事になった。
田舎に母方の親戚が少しいるだけで両親を亡くして兄弟も居ない私は田舎に帰る目的は墓参りに行くか数少ない友の顔を見るぐらいのもので田舎に帰る理由があまり無い、悲しい話だがこうゆう事が無ければ中々田舎へ帰る気持ちにはならないのも歳のせいだろうか?
父親を亡くした友も永年地元にいる事は無くほとんどを海外や東京で暮していた。
その長年の歴史を埋めるようにここ数年は病床の父親の元に帰っていたと聞いた。彼の夢を叶えるのを楽しみにしていた両親のもとへ今までの寂しさを償うように足を運んでいたのだろう、大きな会社の社長をしている彼が頻繁に帰るのは大変だっただろに、
彼には妹さんがいる彼の留守を守るように細いからだに似合わない元気でハツラツとした仕事ぶりは晩年の両親のささえになっていたことを幼馴染の私達は知っている。
そんな彼の妹がまだ小さい時私の家で暮らしていたことがあった。暮らしていたとは大袈裟だがお互いの家が商売をしていた事もあり忙しい時には私の母が預かっていた、昭和の頃は色々な家庭事情も有ったのだろう、幼いながらに何か友達の妹に母を取られたみたいで嫉妬している自分がいたのを今思い出す。
そんな妹は役者になった私に応援のメッセージをくれ、兄である友は私の舞台を観劇にも来てくれている。何年かぶりにこのブログを書くきっかけにもなった。
これからは遠い街より届くたよりは寂しい便りが多くなるかも知れない
『また舞台みにきてょ』『またドラマにでるょ』せめて私からいい便りを送れるようにしよう
友の父が亡くなった便りを聞いたのは私の父の命日だった。