不安を感じることは、

 

 

ごく自然なことです。




不安は「感じてしまう」もの。

 


それを「感じないように

 

 

すればするほど

 

 

その不安で

自分の意識がいっぱい

なってしまいかねないですし

 


まばたきをするように
反射的に自分の中に生じるものなのでは?



不安って、どんなときに感じるか。


実は過去の出来事や
もう既によく知っていること、

 


明らかにそう、と

確信をもっていることについては

 

 

 

あまり不安を感じることはなくて

 

 


まだ起こっていないこと
まだわかっていないことに対して

 


漠然とした怖れをもっているとき
それが「不安」となって、

わたしたちの中に湧いてきます。

 

不安を脱したいとき。

 


そういうとき、逆に


しっかりと不安を感じきる

 

のがおすすめです。


 

不安をもっている自分を

認めてあげるだけで

 

 

案外こころが

軽くなったりするものですし

 

 

不安に思っている状態から

気持ちが切り替わるのも早まったりします。

 

 


 

思考がぐるぐるして

 

 

悶々と不安な気分に

浸ってしまうとき多いのが

 

 

不安に思うことや

不安をもっている自分のことを

裁いて責めてしまう

 

 

ということ。

 



不安は、ある意味
 

 

自然な、感情的な反応。


 

ぐだぐだでも

 

 

へたれでも

 

 

 

「あぁ、いまは不安なんだな」

 

 

と、その気持ちの状態を

 

受けとめてみて

 

その不安な気分と一緒にいてみる

 

 

 

はじめはどんより重たく垂れこめていた靄が

上る朝日に照らされて次第に晴れていくように

 

 

 

おもしろいもので

 

自然にその気分が

軽くなっていくのですよね。


 

 

不安を脱したければ

 

 

まずはその不安を

いっそうしっかりと感じてみること。

 

 

そうすると

もしかしたら、「不安」さんも安心するのかも?


ちなみに、この

 

「不安を感じきる」というのと

 

「なんで自分は不安なんだろう」と

 

 

原因を追究するのは
ちょっとちがいます。

 



不安を感じきるのは、

 

不安を脱して自分が望む方へ

歩んでいくのが目的。

 


「なんで」が始まってしまうと

 


意識が現状にとどまって

しまってしまうのですよね。



「なんで」をしてもいいけれど

 


まずは、

 

 

「あぁ、自分はいま、

不安に感じているんだな…」と。

 

 

自分の中か、外か、

どこで不安を感じているのかな、とか

 

 


不安を感じている部分に意識を向けて、

その温度とか大きさとか重さとか

 

 

その不安はどんなことを言っているのか、

耳をかたむけてみたりとか

 

 


不安でいっぱいになっている

友人のそばにいて

 

よりそってあげるように
その不安としばらく一緒にいて、

その気持ちを分かち合って



それをしているうちに

 


おもしろいもので、次第に、

あんなに感じていた不安が
次第にすぅっと引いていったり

 

 

その不安の奥にある、

ほんとうの気持ちが浮かび上がってきたり
するのですよね。