それが どんなことであっても


たとえ、一見
破壊的に思えるような言動であってさえも



すべては
自身の幸せのため
 

 

そして、健やかさのために
そうしているのだ。



傍から見たら
また、時を経て振り返ってみたら
 

 

「ほかにもっとやり方あるだろうに…」

 

 

「どうして、そんなこと言うかな…」
 

 

ということであっても


そのとき、

その瞬間にあっては

 

 

その人が取りうる

(その人の世界/知覚/認識のなかで)

 

 


「ベスト」のやり方をとった



…その結果が、

 

 

そうだった、ということ。



その瞬間の、

その人の「取りうる選択肢」が

 

 

「そうだった」

「それだけ、だった」のであろう

 

 

ということ。



いずれにしても

 


自身の幸せや、
自身の健やかのために、

 

 

 

いまとりうる最善の選択をしているのだ。



すべては、「健やかさ」に向かっている。




そして、これまでの選択や言動を
よりいっそう健やかさに向けて推し進めるも

 


健やかさを希求しつつも逆に向かわせるも
いずれも、可能だ。



そして、もしかしたら
 


より幸せで、より健やかな自分、
より幸せで、より健やかな人生を生きる秘訣は

 

 

そのために「取りうる選択肢」を
より広く持っておくこと
 

 

なのかもしれない。