冷食って便利♡ | noelleの小さな幸せ♡

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すこしずつ書いています。

久しぶりに舞台を観に行き パラリンピックの開会式に感動して 久しぶりにワクワクした気がしますハート

本当にパラリンピックの開会式は全てが良かったので 部分をかいつまんで話しては勿体ない…ここは語るまい(笑)

クリエーティブ部門トップディレクターはウォーリー木下氏 振付にはミュージカルファンには「ダンス・オブ・ヴァンパイア」などで バレエファンには新国立でお馴染みの森山開次さんのお名前もアップ

ただただ胸がいっぱい。感動しました。本当に素晴らしかったです。Bravissimiビックリマークビックリマークビックリマーク

 

庭のサルビアが次々と咲いていますが そろそろ夏のお花も終盤?

 

さて 冷食。

父の作ったジャガイモがたくさん来たので ニョッキを作ってみました。

レシピだと茹でると出て来るのですが 私はじゃがバターにしておやつでも食べるので 基本は蒸してます。

ジャガイモを裏漉しして ジャガイモの重量の半分の中力粉を混ぜます。

今回は600gのジャガイモと300gの中力粉を混ぜ ポロポロして来たら溶き卵1個 塩少々を混ぜてまとめました。

打ち粉をして細長く伸ばし2cmx2cmにカットし フォークで模様を入れます。

どうも大きいあせる

打ち粉をして袋に詰めて半分以上冷凍庫へ。

 

お湯を沸かし ニョッキを投入。浮いて来たらすくい上げます。(冷凍のニョッキも同様に茹でるそうです)

ソースを絡めてランチでいただきました。

 

実はニョッキ好きなのですが 輸入食材店などで購入した物は酸味や酸臭がどうしても気になって 食べられず。検索したら 添加物でどうしても臭いがついてしまうらしい事を知り これは自作するかレストランで食べるしかないのか…と思って数年。

やっとレシピを見て作ってみました。

もちろん臭くない(笑)冷凍保存も出来るので もう少し作って置こうと思っています。

ただ もっと小さい方が良いかなぁ?夫も同意見だったので次回は2/3~半分くらいの大きさで作ろうと思っています。

 

さて 先日舞台を観に行ったついでに 予約しておいた本を取りに図書館へ行って来ました。

でカウンターで受け取る時 ふと「何だかヤバイ人って思われていないだろうか」と気になって・・・。

帰宅後に夫に「借りた本がさぁ、何だかヤバイ人っぽくない?そこまで覚えていないと思うけど この前は煉瓦の研究本とかで今度は死だよ。DEATHだよ。何だかヘンタイか犯罪者っぽくない??でもピーターラビットは可愛い系だからOKかにひひ」と言ったら 「それってさぁ レンタルビデオ屋さんでエロ系の一番上だけ文芸物とかにして借りる人と同じだよね~」ですって。

確かにゲラゲラ でも可愛く行くよ音譜

 

 

先日 トランジ(墓碑屍骸像)について詳しい翻訳本が出ている事をNacoさまのブログで知り(私と違って知的な内容のブログですキラキラ その本がまさに2018年のルーブル展でトランジを観た時に色々と調べた中に参考書籍として目にしていた物だったので読んでみようかなぁと思い 図書館の予約カゴに入れました。

当時 あれこれ検索して私の苦手な他言語のブログや論文もどきをひぃひぃ言いながら読んで 何となく概要は分かったので他言語の書籍までは手に負えないとそのままでしたので 翻訳本は早く読んでみたい…。

でも 幼稚園はカトリックでしたが給食の時にお祈りしたとかクリスマスに生誕劇をしたとか そんな程度の記憶しかありませんし 学生時代はプロテスタント系でキリスト教の授業もあり卒業後もキリスト教音楽をずっと続けて来ましたが 何となく解っている様な解っていない様なあやふやな状況。 まずはベース作りをきちんとした方が面白さを感じられるかなと 死についての考え方の歴史などを読んでおこうと借りて来ました。

でも読み始めたらすぐに突っかかる私。

実は明治から昭和初期の建物についてあれこれ読んでいる途中 煉瓦が重要な物と知り煉瓦について気になり始めて煉瓦の研究本まで行ってしまい 未だ明治期から抜け出せずの状況。

トランジ本が気になって 一度建物から離脱しました。

今回も「はじめに」ですでに脱線(笑)

家のリビングという呼称について「以前は自宅で、愛する人々に囲まれて死を迎えるのが理想とされていた。そして遺体は自宅のホーム・パーラーと呼ばれる部屋に安置され、友人や親戚が別れを告げに訪れた。アメリカでは、この弔いの儀式が個人宅から葬儀場へ移ったとき、レディーズ・ホーム・ジャーナル紙の要請により、ホーム・パーラーはリビング・ルームと改名され、葬儀場もフェーネラル・ホームからフェーネラル・パーラーへ呼び方が変わった。」(ⅮEATH死の美術大全より)

もう脳内「へ~!!」ボタン乱れ打ち状態。

ググってみたら 18世紀~19世紀の英語圏ではパーラー(応接室)を持つ事はステータスだったみたいですね。語源は仏語parloirまたはparler(話す)。

みなさん 自慢のお宝(高級な家具や芸術作品)を並べて飾ったそうです。そこは葬儀の他結婚や出産などに関わる披露の場としても活用されていたみたいです。

フルーツパーラーとかパチンコ屋さんのパーラーとかは ここから来てたんですね!!

詳しく書かれた文章も発見しました。なかなか興味深く面白い!家

…こうして 寄り道ばかりでいつになったら総本山のトランジへ行き着くのか・・・おばけ

「はじめに」に使われた絵でも寄り道汗

本ではヒエロニムス・ヘスの物が使われていましたが こちらはヨハン・ルドルフ・ファイヤーアーベントの物で バーゼルの「死の舞踏」

スイスバーゼルの墓地の壁に14世紀に描かれたフレスコ画の模写で 本家は1805年に壊されてしまったそう。

「死の舞踏」は 誰も死から逃れられないこと 死はあらゆる階級に平等であること メメント・モリの一部でもあり最後の審判に備え信心深くあれということなどの意味合いを持つ作品なんだとか。

でも私が気になったのは そんな高尚な部分では無く…

なぜ骸骨(頭)でそこを隠す?!という所(笑)

死と踊るのは教皇さま。

 

死んだように眠るのはnoelle。

大好きなゴミ袋の上で満足そう…にやり