この度、東日本大地震により多大なる被害を受けた方々、心よりお見舞い申し上げます。


まあ、あたしも神奈川県民なので、多少の被害を受けたのではありますが、、、


こんな大変な中、不謹慎ではあるが



あたしは、一つの大きな恋を失った。


いや、…正直言えば

まだ、“彼”の事は、忘れられていない。


今でも、大好きだ。


その彼とは、息子の幼稚園の先生“K”。



忘れもしない、2月26日。


あたしは、はっきりと彼にふられたのだ。


“園の職員として、
気持ちを受け取れない”…


それが、彼の出した答えだった。



あたしは、諦めるつもりだった。



今まで、こっそり集めた先生の数々のスナップ写真。



写真の中の先生は、とびきりの笑顔で、あたしのハートを、容赦なくえぐった。

写真の笑顔を見る度に、あたしの心は、叫び続け、嗚咽をあげ、激しく求めた。

毎日、あたしの脳裏を、五臓六腑を彼が駆け巡り、あたしの中枢部を打ち抜き、絶頂へと導いた。


そう…、


まるで、性的な快感を得たような、悶えるように、よがるように、身体をよじるように…………。



彼を忘れたくて、今まで、必死で集めた写真も、携帯に保存した画像も動画も、全て消去した。。


写真は、溢れる涙を拭いながら、、、先生の好きな色の紫色のライターで、全て燃やした。。


先生の笑顔は、あたしの生み出した哀しい炎とともに、消えて行った…………



あたしは、先生の数々の笑顔が消えていく、あの切ない瞬間を、生涯忘れる事はないだろう…………


そして、今日。


先生が送迎する最後のバス…………。



先生は、とびきりの笑顔だった。


もう、二度と先生の笑顔と共に息子を送り出す事はないのだ。


あたしは、ふいに涙が出そうになった。


しかし、ここで泣いたら先生に迷惑をかけちゃうから。。


あたしは、こらえた。


先生を、まだまだ忘れられそうにない自分を呪いたかった。


だけど、人を好きな気持ちは、理屈じゃない。


好きなものは好きなんだ。



例え、卒園して先生と会えなくなったって、愛おしいものは愛おしいし、恋い焦がれるものは、恋い焦がれるのだ。



都合よく、モラルに添って、理性という存在の言いなりになってしまうという事は、本気で相手の事を愛していない証拠だ。



明後日、卒園式が終わった後、あたしには何も残らない。


先生との関わりは何もなくなる。



実質的な“縁切り”という訳だ。


だけど、あたしは あの人が好き。


好きでたまらない。


だったら、いくとこまでいこうじゃないの。


例え、愛する人が目の前にいなくなってしまっても。


あたしの心の中には、

永遠にあの笑顔が在り続けるから。



先生、心から愛しています。



今までも、そして、これからもずっと。
今日…、



大変不思議な事が起こった。



昨年、空に旅立ってしまった大好きで止まない父。



空に旅立った後も私のすぐ近くで、見守り支えてくれていると、今夜確信した。



…なぜなら、“父自身”が、それを証明してくれた。



この自分の日記を久しぶりに見る為に、
ログインし、



ふと
今まで自分が綴った日記の履歴を見た。


そこには、日記のタイトルと日記を更新した日時が書かれている。


私が、一番最後に更新した日記……。


それは、12月1日。


内容は…、2010年を振り返ったものである。


大々的に、内容のメインは もちろん 愛して止まない父の死。



そんな父の死への哀しみを切々と綴った日記の日付は、確かに
12月1日…………、



……のはずだった。



………しかし、



………父は確かに


“そこ”にいたのだ。


日付は12月1日ではなく、


…6月3日になっていたのだ。



6月3日…………。



決して忘れる事のない日………、



父の誕生日だ。……



私は一瞬、目を疑った……。

“あれ?何で?!”



確かに、数字は変わっていたのだ。



こんな事が、あるのだろうか?



そして、私はその後
その日記を、読み返してみた。



日記の内容は、全く変わっていない。


そして、画面を戻し、もう一度日付を確認した……。



しかし、そこには
父の誕生日ではなく、


元々、本当に更新した日付…12月1日に戻っていた……。



何事もなかったかのように………。



夢でもないし、狂言でもない。



私は、この二つの目で確かに見た。



父への想いを綴った日記の日付が、一瞬だけ父の誕生日の日付に変わっているなんて…



私は、次の瞬間、確信した。




“父はこの部屋にいるんだ”…と。



私は、何も怖いものなんてない、とその時
痛感した………。




真冬の夜の不思議な出来事だった。
今日から、12月。


いよいよ、2010年最後の月になってしまった。


一年の早さを改めて思い知る瞬間となる。



今年一年を、振り返ってみる。。



…昨年は、“アイツ”との運命的な出逢い、ズタズタの恋愛、


大好きな先生を、もっと好きになった年。



そして今年は…、



最愛の父が他界した年になってしまった…。


私にとって、父は 唯一無二のかけがえのない存在。



…私には、上に二人兄がおり、私は末っ子の一人娘。



自分で言うのも何だが私は、父に本当に可愛がってもらえたと思う。



しかし、“可愛がってもらう”のと


“甘やかされる”のとは、全く違うのだ。



私は、甘やかされた経験がない。



叱られる回数は、数知れず。



時には、ドンブリが飛んで来る事もあったり(笑)…




16の頃、二日間 無断外泊をした時は、


本当に父に心配をかけ、哀しませてしまった。


金銭面でも、決して甘えさせてはくれなかった。



兄は、車を買ってもらったり好き勝手にやってたのに、



私は百円すら貰えない…。



何で?何で?一人娘って、もっとお嬢扱いなんじゃねえの?



私の中で、激しい憤りが暴れまくった。



しかし、それは全て

父の私への最大の愛情の表れだったのだ。



その事がわかったのも、ずっとずっと、後になってから。




父の愛情は、私の中で永遠に消え失せる事はない。




昨年の今日。



ふと、何をやってたのかなと思った。



昨年の受信メールを一つずつ 辿ってみる。



「2009年12月1日」



父とのメールのやりとりが そこに残されていた。。。



ちょうど、抗がん剤投与の為 入院していた父が退院した日だった。



“今、ナースステーションにいるよ。後で”


そんな普通の、なんてことのない内容のメールだった。



しかし、私は何とも言えない想いでいっぱいになった…。



一年という月日は、


たった365日。



いや、やっと365なのだろうか…?



その中に起こる様々な出来事は、自身の人生の中で、永遠に色褪せる事のない歴史に変わる。。



不思議であり、切ない現実。



今夜は、父と呑もう。