朱に染まる後日談① ささやかな願いを | 夢の浮橋~夢と現世の狭間~

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気の向くままに書いているので、時と共に、主に書いているテーマが変わります。

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小説はpixivにて一部更新しています。

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アメンバー記事だったものも一部ですがこちらには出ていますので、よかったら


猫猫が瑞月の妃となり、事情を知る皇太后や主上、離宮にいるという阿多からも祝いの品が部屋を一つ潰す程贈り物が届いた。
この事情を知るのは、瑞月に近い人間であり主に皇族と言われる高貴なやんごとなき方々だ。何故、面倒なことするのかといえば、それが瑞月たっての願いだったからで。
早く公表しろ、とうるさく言ってくる周囲の言葉を、瑞月は今の所、聞く気はないようだった。
猫猫は、少々疑問はあったものの、それに従う。
戸籍上は猫猫は瑞月の妃であることには変わらず、この見目麗しい皇弟の妃が鶏がらのような華のない猫猫だと知れれば、猫猫もただでは済まない気がする。今のままの方が猫猫にとっても平和であろう。
元々、瑞月の宮に住んでいたのもあり、派手に人の移動が一時的にあっても、皇弟の宮だ、公務の一部だとさほど騒がれるわけではない。
新たな人の出入りがないため、妃を娶ったと、周りが気づくのは至難の技とも言える。変わったことと言えば、猫猫が皇弟付きの官女になり、皇弟の補佐にお付の武官と宮の外出てゆくようになっただけだ。
猫猫の試験結果は首席で皇弟の官女には申し分ない。
瑞月が言っていたのもあながち外れではなく、実際に、猫猫に正面きって突っかかってくる官女は半分以下になった。


高順と後宮にでていた猫猫が宮には戻ると、瑞月は机上の書類と相変わらず格闘していた。
頑張ったのか、山積みの書類は半分ほどに減っていた。床に散る書類も少なくはない。
「戻りました」
猫猫は、翡翠宮から分けてもらったおやつを一つ、瑞月の前に出すと、瑞月は嬉しそうにそれを受け取る。筆を置くと、おやつの封を開けながら猫猫を見てくる。
「どうだった?」
瑞月の口調は硬いが、表情ははっきり言って緩んている。それはそれで、違和感しか感じない。
高順はもはや、それを諦めたのが、大概のことがない限りは注意しなくなった。仕事放棄するのは辞めてほしいと、猫猫は思う。
「問題はありません。普段通りの後宮でしたよ」
瑞月はおやつの煎餅を食べ終わり、側にある器の中のお茶を飲んでいた。
「悪いな。代わりに行かせて」
瑞月は申し訳なさそうに、猫猫を見ていた。
後宮の案件も内容によっては壬氏宛に未だにやってくる。
瑞月は皇帝の血縁であり、後宮には入るのは問題はない。今でも後宮管理官という肩書は持っているが、猫猫が官女になってからは、瑞月は後宮には入らなくなった。机上仕事に専念している。何故、そうなったのか詳細は猫猫は知らない。何かあるのだろうくらいの感覚で、猫猫は瑞月の代理で後宮に行くのを引き受けていた。瑞月の前にある溜まった書類見ていたら、事情の多少わかる自分が行くことで、瑞月の仕事が減るのならばとも思うのは確かである。
「いえ。見てくるだけなら私にもできますし。こちらの方が大変でしょう」
「助かる」
机に疲れた様子で突っ伏す瑞月を、猫猫は冷めた視線を送る。
「昨日もろくに寝てないんですからね。疲れもするでしょうね」
むっとしたように、瑞月は猫猫を見てくる。
「寝てないのはお前も変わらないだろ」
「玉葉さまの言う事が今なら分かる気がします」
「どういう意味だ」
「別に……」
猫猫は、意味ありげに瑞月を一瞥する。
朝方まで血気盛んな目の前の夫に付き合わされほとんど眠れず、朝は普段通りに起きて変わらない官女としての公務を今まで行っていた。その、眠けに苛ついて軽く仕返しをしたかっただけと言うのは猫猫だけの秘密である。
眠くなるから何も食べなかったのに、翡翠宮ではおやつ時、猫猫は運悪く[[rb:桜花 > インファ]]に捕まってしまった。おかげでふとした瞬間にうとうととしていまい仕事が進まない悪循環に陥っている。
こっちだって仕事している。
この男は加減というものを知らない。
大変迷惑である。猫猫は、水蓮の手前瑞月を作った普段通りの顔の奥で瑞月を睨み気味に視線を送る。
「……………」
瑞月はそれを感じたか、すねたように猫猫を無言で見てくる。
執務室に、水蓮が瑞月用のお茶とおやつを持って入って来る。
「まあまあ、若いっていいわねぇ」
「……………」
少々バツが悪そうにそっぽを向く瑞月と。
(若い…ねぇ……)
変わらず表情のかわらない猫猫と。
新婚夫婦の反応は互いに正反対だった。
水蓮にはなかなか、かわいい反応をする瑞月を猫猫は表情なく見ている。
今日の瑞月は、ずいぶんと仕事中だというのに表情豊かだ。まあ、瑞月らしいと言えばらしいのだが。
「猫猫。あなたの分も奥にあるから来てちょうだい」 
水蓮は瑞月と高順の分を高順に盆ごと託し、猫猫を見てくる。
猫猫は、待ってましたとばかりに、言われるがままに水蓮と一緒に執務室を出てゆく。
助かった。派手な喧嘩にならなくて済みそうだ。
翡翠宮でおやつを桜花に食べさせられたから猫猫としてはもういらないのだが、水蓮にこの手は利かないのがわかっていたからなのもあった。翡翠宮の侍女達といい水蓮といい何かと言えば猫猫に食べさせようとしている。


猫猫が瑞月の妃となっても、普段通りなのは、猫猫が頼んだからだ。急に、偉くなれと言われても猫猫には出来ない。
台所の隣の部屋の卓子に座った猫猫の前に水蓮は蒸かしたての一口大の饅頭を置く。白磁の茶器には異国渡来の赤いお茶と檸檬と蜂蜜を乗せた盆を卓上に置くと、水蓮は二つの器にお茶を注ぐ。瑞月と同じもの出してくれるらしい。
「お茶は好きな物を足してね。たくさん召し上がれ」
「ありがとうございます」
水蓮も猫猫の前に座ると、一緒に食べ始める。
目の前の水蓮は孫に接するかのように猫猫に構って来る時があり、今がそうだ。
猫猫には純粋にそれが嬉しかった。
蒸籠から出したすぐの饅頭は甘く、猫猫が食べた饅頭は口の中でほろほろに崩れてゆく。
美味しい。猫猫の頬が緩んでゆくのがわかる。
さすがだなぁと、猫猫は水蓮をちらりと伺う。
「どう?皮の粉の割合変えてみたんだけど」
「おいしいです」
「よかったわ。気に入ってもらえて」
猫猫が二つ目の饅頭を割って食べる。口の中で崩れる皮と甘く広がる餡がなんとも言えない。これならいくらでも食べれそうである。
「あなたは誂いがいがないわね」
さっきの事だと猫猫は思う。確かに、瑞月との反応は見事に正反対だった。苦笑気味に猫猫が笑う。
「今更…では…?私には壬氏さまの反応の方がわかりません」
猫猫は、お茶に蜂蜜をたっぷり足すと一口飲む。蜂蜜なんて贅沢だなぁ、と思いつつ。
「猫猫は大人なのね」
「ただ、冷めているだけだと」
「貴女が来てくれてよかった」
「……………」
水蓮は視線を遠くに投げ、昔を思い出したように語りだす。
「背伸びして、いつも辛そうで。私は瑞月さまを見ていられなかった。貴女が来て色んな表情するようになって。やっと年相応になられて。私は嬉しいわ。猫猫のおかげね」
水蓮の言葉は純粋に嬉しい。
だが、さっきの瑞月は年齢相応というよりは、猫にはにとっては幼い印象の方が強い。
「私は何も」
「貴女のおかげよ」
「だといいですけど、私も笑っていてほしいです」
まあ、瑞月に笑顔でいてほしいのは猫猫の本音である。それは嘘ではなかった。
水蓮は檸檬だけを入れていたお茶を一口含むと、猫猫をじっと見てくる。
ぽつりと、水蓮は、言葉をこぼしてくる。
「三月、子供が出来ないのは、あの薬のせいなのかしらね」
「あの薬?」
突然何を話して来るやら。
猫猫は、水蓮の言葉を待つ。
「ほら、後宮に男性は入れないでしょう。本来の立場上飲まなくても、後宮には入れるのに、けじめだといってね、壬氏さまは男性の気を落とす薬飲んでいたのよ」
猫猫も話には聞いたことはあった。そういう薬があることを。確か、婦人病に使う材料が中身の一部のはずだ。
よく考えれば、後宮に行くために、瑞月が飲んでいても不思議はない。
今、瑞月が後宮に行けないと言うのはやはり、それが原因なのだと、ふと考えるが、違う気もする。飲まなくても、後宮には入れるのだから。
高順は年齢も年齢だからなのだろうな、と猫猫は思う。高順が宦官でないことは、瑞月の立場を思えば否定出来る。
実際、高順には瑞月と同じ歳の子供もいるのは確かだ。
「それを飲んでいたということは、今は飲んでいないのですよね」
「ええ。後宮に行かないのだから必要ないでしょう」
「そうですね」
「五年も飲んでいたからかしらね」
五年前というと齢十四歳ほど。そんな前からとは、猫猫は驚いた。
瑞月は後宮で何がしたかったのだろう。
猫猫はしばらく考え込む。
東宮がいないという話は聞いたことがない。
少し考えれば、皇弟である瑞月が東宮であることは必然であることはわかる。平民だった猫猫には縁がなかった話題というだけで。
ただ、瑞月は宮廷では東宮と呼ばれることはほとんどなく、皇弟と呼ばれることの方が多い。
自身はその裏で後宮に長年宦官として潜り込む。
東宮の地位が、嫌で逃げたとも取れるのだが。
きっと、それだけではないだろう。逃げるだけなら、後宮に行く意味はない。
どちらにしろ、本人に聞いた方が早いのだろうが、本当のこと言うのかは不明だ。
その若さで宦官の真似事、不妊になるという危険性を顧みないのは、よほどの覚悟か、若さ故の行動なのかは本人のみぞ知る。
あの薬は毒のような即効性も持続性ない、薬は時間が経てば抜けるだろう。あくまで予防的な意味の薬だ。完全ではない。だが仮に女性側が孕んでしまったのならば、初期であれば、簡単に流してしまうのは可能なのだから、そちらの方が確実な方法だ。褥番の記録と合わせれば照合はある程度可能だろうし。
「それは時期に薬は抜けると思いますけど。そこまでの持続性はない気がします。それに、子を孕むのは私の[[rb:時期 > タイミング]]が合わないと無理なので、一概に瑞月さまのせいと決めつけるには早いと思います」
そんなの、ある程度の知識として持っている女性は一定数いる。花街だけの情報ではない。
花街で色々見てきた猫猫にはそういう恥じらいはあまり感じなかった。水蓮は、猫猫の年齢以上の冷静さに安堵したようだ。
「それもそうね」
「はい」
「まだ三月でしょう」
「猫猫は優秀な薬屋さんだったのね」
「まだまだですけど。ありがとうございます」
「いつ私は瑞月さまの吾子をこの手に抱けるのかしらね。待っているのに」
水蓮は水蓮なりに瑞月の事が心配なのだろう。
その若さで、あのような事をしていた。本来は全うな皇族の男子のする事ではない。
「………はは……そうですね」
結局、そうなるのだ。
間接的に変な、[[rb:圧力 > プレッシャー]]を猫猫にかけないでほしいものである。
猫猫は、照れるという感情はなくやはり冷めた目で乾いた笑みを浮かべただけだった。


ただ、それは猫猫を孕んだ女と同じな気がして、猫猫の頬が僅かに引き攣る。
嫌な記憶は簡単には消えてくれないようだ。
いや、今の猫猫は、瑞月の妃だ、無計画に子を孕んだあの女とは違う。
猫猫は、自分に必要以上に言い聞かせた。
見えない恐怖を打ち消すかのように。