【ボリビア支部結成】
南米のボリビアにウチナーンチュがジャングルを切り開き築いたオキナワ村という名のついた村がある。
南米に携わる中でその話を聴き、一度はそこを訪ね祭り太鼓を披露したいという想いがあった。
1999年4月、縁があって沖縄県派遣教師として2年間オキナワ村の日本語学校に赴任する機会を得た。仕事の傍ら社会教育として、また沖縄の文化活動の普及として、エイサーや獅子舞、旗頭、琉舞指導を行った。
しかしボリビア支部を結成したものの、まだ祭り太鼓の集団演舞を間近に見たことがない青年達の意識はなかなか奮い立たなかった。そこで、オキナワ村の皆さんと青年達に、本物の祭り太鼓の姿を見せる必要性を強く感じた。そして、翌年2000年8月の地域の豊年祭に祭り太鼓本部とアルゼンチン支部から細川拓、そしてギジェルモ・ジアンフェリッチの2名が駆けつけてくれた。
初めて見る祭り太鼓。たった7名による演技であったがその迫力と真剣な眼差し。そしてボリビアとアルゼンチン、沖縄の青年との交流を通して、ボリビア支部の若い青年達の意識が一変し、2004年に開催される沖縄県人移住50周年事業では「南米の青年達を集めてエイサー太鼓を打ち響かせる」という大きな夢に繋がった。
その時、ギジェルモは大病を患う中での遠征であった。彼が最期に家族に話したことはボリビア遠征での出演と交流の思い出であったという。
彼のボリビア支部への貢献に改めて敬意を表したい。(つづく)
(文:與那嶺昭)