あの世から見える? | 泣けるBLOG

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泣ける話を集めました。

プチタンファンの「読んでくれてありがとう」という本より。
長いので適当に中略して書きます。

4歳、2歳、生後三ヶ月の3人の子供の母です。(中略)
私は自宅で添削の仕事をしており、いつもいつも時間に追いまくられストレスは溜まる一方でした。
主人には「早く帰ってきてよ!」と文句をいい、子供にも当たってしまったりしました。
でも、休みになれば主人も子供の相手をしてくれ家族で出かけることも多く、平凡ですが小さな幸せは続いていたのです。

けれど、その平凡な日々が幸せだったと気付いた今、それは刻々と終りに近づいているのです。
私はストレスからくる体調不良が一年前から続いていました。
多忙なため、病院に行くのを延ばしているうち、3人目の妊娠がわかり、産後一ヶ月健診のついでに消化器科を訪れたのが最初の受診でした。

病院中あちこち検査にまわされ、案の定、即入院・手術と言う事になりました。(中略)
そして手術。恐くはありませんでした。だってつらいお産を3回も経験してきたんですから。(中略)
手術は胃の摘出で4時間ほどの予定でした。
ところが実際には2時間ほどで終わってしまったのです。 何故か。
それは切除不可能だったからです。
開腹してみるとすでに手の施しようが無いほどガンが進行していたのです。

手術前主人は「後数ヶ月の命だろう」と宣告されていたそうですが
手術後には「もう時間が無い」そうキッパリと言われたというのです。

手術後、病名の告知を希望していた私に真実が告げられました。
「スキルス胃癌」あの逸見政孝さんと同じ病気だったのです。
2ヶ月前は同じ病院の産科病棟で幸せに浸っていたのに突然絶望の底に突き落とされたのです。

今、私は入院しています。
手術から2週間経ち、心の整理は出来ています。
何故か死ぬ事は恐くありません。
ただ、幼い子ども達を残していく事だけがつらいのです。(中略)

子供達のかたわらにはいつも私と主人がいたのです。
なのに、突然私だけがいなくなってしまったら・・。
母親のいない子供、といわれるのは不憫です。子供達は幼すぎて私の死を理解できないでしょう。

でも保育園で、母の日にお母さんの絵を描く時、遠足にお弁当を持っていくとき・・・。
これから先、母親を恋しいと思う瞬間が必ずくると思うのです。
泣いても、叫んでも、もう自分の側に母親が戻ってくる事はないのだ、と子ども達が気づく時、その幼い心はどんなに痛むでしょう。(中略)

なくしかけて分かったのです。育児は戦争です。
イライラして子供に当たる事があっても、それは仕方のない事。
完璧な母親を目指す必要はないのです。
子供にとって一番うれしいのは母親がいつも元気で、必要な時にはいつもそばにいてくれることです。
いいえ、極端に言えば生きていてくれさえすれば、十分なのではないでしょうか。(中略)

皆さん、怒ったり、泣いたり、笑ったり、子供達と一緒に命いっぱい生きてください。
そして誰よりも自分の健康には気をつけて。(後略)

子ども達に心を残して
33歳と2ヶ月の短い生涯を閉じた彼女に合掌。