自己責任でご覧ください。
現世と黄泉の国(よみのくに) の境となる坂。『古事記』には、「故、其の謂はゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂と謂ふ。」とある。また、根の国との境も黄泉比良坂とされる。
坂とは、境の意味であり、黄泉との境の黄泉比良坂のみで無く、他の他界との境にも坂が見える。海神宮との境には「海坂」がある。『万葉集』巻九「水江の浦島の子を詠む一首」にも「海界を 過ぎて漕ぎ行くに 海若の 神の女に」と見える。
黄泉比良坂の坂も先例の通り、「境」を意味する。つまり、「黄泉との境」の意である。この境について、『古事記』には、「亦其の黄泉の坂に塞りし石は道反之大神と號け、亦塞り坐す黄泉戸大神とも謂ふ。」とある。この神は黄泉との境を守る神であり、現在でも見られる道祖神とどう機能をもつ。つまり、害悪をもたらすものを中に入れないと言う機能である。
それでは「比良」とはどのような意味を持つのであろうか。沖縄の古典である『おもろさうし』のなかに「坂」を「ヒラ」とよんでいる例が見える(巻二 79番・83番)。 念のため『沖縄語辞典』で確認をすると、「hira 1(名)坂。「猶追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に(古事記上巻)」とある。例として、「黄泉津比良坂」をあげているので、間違えは無い。『アイヌ・英・和辞典』によれば、アイヌ語においても、「Huru or furu , フル 小山 坂, n A hill anaccliunity」とあり、「ヒラ」に似た語が坂の意味で使われていたことがわかる。「ヒラ」を『日本方言大辞典』でひくと、傾斜地、斜面、坂の意味で用いられている地方が、近畿・中国の一部・四国を除いて全国的に見られる。
仮に古い言葉が地方に方言として残っているとすれば、古代においては現在使われていない地方も「ヒラ」を坂として使っていたのではないかと想像できる。「ヒラ」の語は沖縄にもり、琉球語と日本語の分離は三世紀半ばから6世紀にかけてとされるから、仮に「ヒラ」が一般的に使われた時代が在ればそのころであろう。
「ヒラ」は坂の他に山の中腹、屋根の斜面、がけを意味する地方も在ることから、私は傾斜を意味する語であろうと考える。
他界は多くの場合、山の上であったり、海の彼方であったりする。それは人の生活圏をこえた所を意味する。その意味で言うと、山の斜面は、山上他界の考えでは、他界との接点である。(黄泉はイザナミの墓所的イメージが在る。『古事記』には「故、其の神避りし伊邪那美神は、出雲国と伯伎国との堺の比婆の山に葬りき。」とあり、山上他界的イメージが強い。)『遠野物語拾遺』226話には「すなわち死ぬのが男ならば、デンデラ野を夜なかに馬を引いて山歌を歌ったり、または馬の鳴輪の音をさせて通る。」とある。『注釈 遠野物語』によれば、「デンデラ野」は、山の斜面の尾根が平地になる所であるとある。これは、他界との接点であるから、死ぬ人間が死ぬ前に出現するのである。(『出雲国風土記』の中に「黄泉の穴」と呼ばれる洞穴の伝承が採録されており、夢でこの洞穴を見ると死ぬとある。これもデンデラ野と同じ考えに基づくものであろう。)ここからも斜面が他界との接点である事を読み取ることが出来る。
つまり、黄泉比良坂とは、「黄泉の国(よみのくに)の坂の境」の意味では無かっただろうか。或いは、『古事記』の書かれた当時、中央では「ヒラ」の語はすでに使われなくなっており、「坂」をつけたのかも知れない。2説あげたが私は、むしろ後者の方の説をとりたい。
黄泉平坂洞窟画像
無料着歌取り放題
楽曲で検索開始♪