ガロア 加藤文元著
2010年12月20日発行
中公新書 2085
どのような人生だったのか知りたくて
読みました
(1811年10月25日 - 1832年5月31日)
この年、つまり1826年より前にガロアが数学に特別の興味を示したという記録はない。
ただ、思いがけなく第二学級に<落第>し、前年と同じことを再び学習しなければならなくなった彼が、それまで履修してこなかった数学の授業を、ちょっとした好奇心で覗いてみようとしたというのは、いかにもありそうなことだと思われる。
ガロアはジャン=イポリット・ヴェロン、通称ヴェルニエという教師が受け持っていた「準備数学」クラスの生徒となった。
そして週五時間の授業で使う教科書としてヴェルニエが採用したのが、まさにルジャンドルの『幾何学原論』だったのである。
この本と出会って、ガロアの人生は文字通り一変したと伝えられている。
伝説によれば、ガロアはその本---通常ならマスターするのに二年はかかると言われている大著---を、たったの二日で読んでしまった。
少年たちが愛読しそうな通俗小説でも読むかのようにスラスラと読んでしまったというのだ。
ガロアの前には突如として広大な初等幾何学の世界が現れた。
そのとき以来、彼はまったく数学の虜になってしまった。
数学だけに生き、数学以外の教科にはまったく興味を示さなくなってしまったのである。
ガロアの決闘の原因はわからない
「陰謀説」「自殺説」「恋愛説」のどれも決定的ではない
ガロアの遺志を受けたシュヴァリエは、ガロアの遺稿を整理し、できる限りのことをした
その論文は多くの数学者たちに送付された
ガロアの仕事が本格的に善意を持って受け入れられるようになるには、しかし、1846年まで待たなければならなかった
この年、ジョゼフ・リューヴィル(1809-1882)がガロアの仕事をまとめ『純粋および応用数学年報』に発表した
…ガロアはもういない。無益な批判にふけるのはやめよう。
欠点はそのままにして、長所をみよう・・・(中略)・・・私の熱意は報いられた。
二、三のわずかな空白を埋めて、ガロアの方法の完全な正しさを知ったとき、私は強烈なよろこびを感じた・・・(『数学をつくった人びと』下、七七頁)
リューヴィルはこう述べて、ガロアの仕事を発掘した喜びを伝えている。
ガロアの理論はその後、多くの人々によって研究され解釈され、そして整理された。
その理論がいかに強力で、どれだけ現代数学を先取りした素晴らしいものであったかはすでに述べた。
2003年頃、深夜のNHKで見た番組
「藤原正彦 ガロア」で検索する