那覇市役所 8F 市営住宅を聞きに行ってきた
毎年1月申込、2週間
2週間しか公開されない
お知らせは、「市民の友」 にも掲載
12月頃から、ネットのHPで申込期間がわかる
申込、1つだけ選択して待つ
抽選、当選したら番号がつく
空家発生 がわかる
毎年 2000人申込、100人入居できる (5%)
申込は、市役所で、しおりをもらい、郵送で申込
ひとり親優先の部屋、多子優先の部屋、シルバー世帯用など
シルバー世帯用は
安謝、久場川、石嶺 らしい
本当に困っている人用ということがわかった
沖縄県営住宅は、住宅供給公社
こちらは那覇から離れるので聞きに行かなかった
沖縄タイムスプラス
50年前の沖縄のうわさ「復帰すると雪が降る」 大人の冗談? それとも期待感? 探ってみた
2021年11月10日
今から50年前、沖縄では「日本に復帰したら雪が降る」といううわさ話が広まっていた。誰が、どうやって広めたのか? 真相を探ろうと私たちは街に出た。
一番街にある「まちづくりNPOコザまち社中」理事長の照屋幹夫さん(67)は、復帰当時、高校3年生。一番街周辺の「センター地区」(現沖縄市中央)が地元だ。
米兵相手の商売をしていた多くの人々は、「復帰すると売り上げが減るのでは」と心配していたという。大人たちの不安げな様子に、子どもたちも敏感に反応した。
当時米兵向けのレストランを経営していた照屋さんの両親は、復帰直後の1972年6月ごろ、日本人観光客向けの民芸品店に切り替えた。「もっと幼かったならその意味も分からなかったんだろうけど…」。高校3年生だった照屋さんには、迫りつつある変化がはっきりと見えたという。「復帰すると社会が大きく変わるんだということが、大人たちの行動や見聞きする全ての情報で、リアルさを持って実感できた」
そんな時、同時に耳に入ってきたのが「雪のうわさ」だった。商店近くで大人たちが、子どもたちに「復帰すると雪が降るかもよ」と話しているのをよく耳にした。
社会が大きく変わることを、「暖かい沖縄で雪が降るくらいの変化」に例えた大人たちの冗談だったと照屋さんは考えている。しかし、「『そうなんだ』と、納得している子どもが多かった。それぐらい『復帰』は、誰にとってもインパクトがあったんですよ」
当時の子どもたちは放課後、みんな外で遊んでいた。照屋さんは「放課後は、違う学校に通う子たちとも遊んでいたので、雪のうわさはそこで広まったのかもしれない」と推測した。
一方、復帰を機に「米軍関連の事件・事故が減るのでは」との期待も、高校生だった照屋さんの同級生たちの間では広がっていた。復帰の2年前1970年には「コザ騒動」(※注釈1)を目撃した照屋さん。「米兵は何をしても裁かれないという状況が変わるのでは、とみんな期待していた。でも、復帰後もそれは全然変わらなかったね」とぽつりと語った。
(注釈1)コザ騒動 1970年12月20日未明、コザ市(現沖縄市)で起こった米軍車両の焼き打ち事件。米軍による人身事故を発端に群衆の怒りが噴出し、同日未明から明け方にかけて数百人が米軍車両約80台を焼き打ちにした。死者や略奪行為はなかった。
私の知ってる沖縄は
復帰10年
今から40年ほど昔
まだ外人相手の店が残っていた
日本になったが、日本なのか、アメリカなのか、よくわからない場所だった