ゴールドバレル | 猿の残日録

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いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

“タモリ式入浴法”と言われて、6年ほど前に話題になっている

石けんを使わずに38度ほどのお湯に10分以上浸かるだけ。

その名のとおりタモリが実践している。

 

窪塚、福山雅治、ローラ、妻夫木聡など。芸能界ではちょっとしたブームのようだ。

 

偶然、私も面倒なので石鹸やボディシャンプーしない日が多かった

38℃くらいのお湯に、5時間前後、毎日入浴して(寝て)いた

 

樹木希林さんが、毎回は石鹸使わないと言っていたし、江戸時代以前の人は、入浴だけで贅沢だったはず

 

ところが、沖縄では、冬以外はかなり汗をかく

洗わないと浴槽に身体の汚れが付いて、バスタブクレンジングかボディシャンプーを使って落とすのが面倒

背中の皮脂汚れが加齢臭になる心配もある

 

そこで、相棒に「臭い」と言われる前に

(面倒だが)、夏は、1週間に2回は石鹸かボディシャンプーを使ってサッパリしてます

 

入浴中は、換気扇(強)で、扉を開けっ放し

 

入浴後も、8時間タイマーで換気扇(強)して、カビ防止してます

 

今日、昼、入浴中、雨音がしたので、外を見ると、道路は濡れていない

何回も降っては止む、暑いので道路はすぐ乾くらしい

 

天気雨が当たり前の沖縄は、雨の為に気温が調整される(と私は思っている)

内地のように、35℃前後になる日は、ほぼ無い

 

雨が降ると一気に気温が落ち着く

3℃くらい下がる気がする

 

降雨量に記録されないだけで、雨はパラパラとよく降ってすぐ止みます

 

 

風向きは、時間によってクルクル変わると言われているが、見てみたら、南風(気温上昇)が多い

風速が10m/s も行かない穏やかな風が多い

風速が10m/s超えると、湿度を下げる効果はある(と思っている)

 

 

 

 

ゴールドバレル

 

 黄金の樽という意味

 2006年に新しく登録された沖縄生まれの新品種

 

 

 熟してるからか、安い(と思う)

 ¥1280

 

 

 味は、酸味がない

 私の記憶してるパインの甘味とちがう

 とても甘いが、マンゴーとも違う

 どう表現したらいいか !?

 

 

 

普通のパインを食べてから、5年は経ってるから、普通のパインの味を忘れてる

 

パインも種類が増えすぎて、何が普通かもうわかりません

 

 

 

 

ドラゴンフルーツ(赤)マンゴーゴールドバレルパイン

 

 

ヨーグルトに1番サッパリは

ドラゴンフルーツの白

私的に、「通の味」

今年はまだ食べてない

 

 

 

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紫式部、生誕1000年で公開絵巻を見たのが、45年前

天禄元年(970年)から天元元年(978年)の間に生まれ、寛仁3年(1019年)までは存命したとされる紫式部
 

源氏物語絵巻の復元模写は、雑誌以外で見たおぼえがない

 

 

2019年、宇治市源氏物語ミュージアムを見た時、光源氏と子の薫の時間差を知った

 

源氏物語は、登場人物が多く、複雑らしい

 

藤原道長(966~1028)の時代の紫式部

 

書かれてから、100年も過ぎてから

藤原定家(1162~1241)がまとめた 54帖の物語に出てこない4名の名も別の資料にあるという

 

源三位(げんのさんみ)
そしてその子供である頭中将(とうのちゅうじょう)
巣守三位(すもりのさんみ)
中君(なかのきみ)

源三位は
光源氏の異母弟である
蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)の子供なので
頭中将以下の3名の人物は
蛍宮の孫に相当する

 

ダイジェストとして学んでいます

 

光源氏の年代順に物語の空白期間がある

未完の結末も補足する、紫式部以外の人が書いた物語があると言う

 

そもそも、『源氏物語』は既に世の中に広まった時点で数種類の本が人々にわたっていた

最低でも3つ

1つは原本

2つはそれを能書に書き写した豪華本

3つは紫式部が実家から取り寄せて密かに保管していたまあまあといった具合に書いていた『源氏物語』の写本

 

3つ目のは

それを隠しておいたのに
紫式部が留守の間に

この殿、道長が
自分の部屋に入ってきて

それらを全て持ち出してしまった
そしてそれを道長の次女の妍子(けんし)

若い妍子様にすべて差し上げてしまった

紫式部が実家から取り寄せた本というものはまだ清書されていない
おそらくは草稿本のようなまずまずの出来だというような本であった


そうした本が自分の留守の間に持ち出されて広まってしまうということで紫式部はこの先不名誉な噂を立てられることであろうということを懸念している

 

藤原定家が『源氏物語』を写した13世紀においてはもう様々な種類の『源氏物語』が世の中に存在していて
どれが一番正しい本だというふうに決定するのが難しいくらいだったという

 

面白い話である