この世を生き切る醍醐味 樹木希林 | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

2019年8月発行

 

樹木希林さん

 

1943年〈昭和18年〉1月15日 - 2018年〈平成30年〉9月15日

 

2018年春、新聞連載のため、3日間インタビューした

 

インタビュー初日に、余命がいくばくもないことを打ち明けられていて

「なんでも聞いていいわよ」と

 

死を前にした樹木さんが遺言のつもりで、すべてを語っておこうと思われたのだろう

 

新聞連載にはほんの一部しか使っていない

 

これを眠ったままにするのは、むしろ罪なのではないか

 

「これはぜひ本にしたいです」と提案した

 

すると「本にするのはやめて」と言下に否定された

 

「分かりました。本はよしましょう」とすぐに引き下がった

 

と書いてある

 

 

沖縄の喫茶店で、こんなストーブ、年中置いてる店

もちろん、ただのオブジェ

 

 

 

 

がんになったのが、平成16年、インタビューは平成30年

 

亡くなったのが平成30年9月

 

 

読んで特に記憶に残る点を、2つ

 

 

 

1 千代田女学園 中高一貫何百人

10段階で8.5以上だと「優等生」

 

中学1年の時に全校生徒の中で

「今回は2人優等生がいます」

 

自分では気づかなかったが先生に呼ばれて

先生がこう言ったの

 

こういうものをいただくと、狭い人間になってしまいがちだから、少しゆとりを持って、いろんなものを見るような生徒にならなきゃいけませんよ

 

勉強が出来たと言ってもね、さしたることもないんですけど

昔はいい学校だったらしいですけど、私が行ったあたりから、おかしくなったんじゃないかと思って(笑)

 

その頃から私、普通に口を利くようになった

そしていつのまにかケンカっ早くて生意気な人間になっていたんですよ

 

 

 

 

2 ---最初に乳がんが見つかってから、14年が経っています

これまでお話をうかがってきて、樹木さんの人生観みたいなものも、やっぱり変わってきているんだな、と感じました

 

変わったでしょうね

私ね、自分の身体は自分のものだと考えていたんですよ

とんでもない

これ借りものなんだっていうふうに思えるようになりました

親から産んでもらったこの身体をお借りしているんだ、と

そこにね、私という何だかよく分からない性格のものが入っているんだ、と

 

ところが、その借りものをさあ、若い頃からずっとわがもの顔で使ってきたわけじゃない?

ちょっとぞんざいに扱いすぎたなぁ

今頃になって気づいてさ

「ごめんなさいねぇ」って謝っても、もう遅いわねぇっていう感じかな

でも、75歳、後期高齢者まで来たからね

ほんとに、よくここまで来られたわよ

年金もちゃんと65歳からもらったし

うん、もう何も言うことないんじゃない?って私は思ったなぁ

 

3 ---じゃあ、最近はこの借りものをぞんざいに扱ってらっしゃらないのですか

 

そうね、やっぱりね、モノを食べる時も、いろいろ考えてるわね

考えるっていってもね、これが身体によいとか悪いとかを考えるって、そういう意味じゃないの

どんなものでもよく噛んで、食べ終わったらありがたく「ごちそうさまでした」と感謝するっていうことなの

 

4 ---まずい、とか思っちゃいけないんですね

 

うわあ、っていう食事も確かにあるわよ(笑)

そういう時でも「まずい」とは言わないでね

よく噛んで感謝して食べるというね

そうすると身に付いていくと思ってるわけ

 

 

 

 

それから、家ね

 

5 ---家、ですか?

 

そう。家や土地っていうのもさ、なんか自分で買ったんだから、自分のものだと思っちゃうじゃない?

でも、これって、地球から借りてるものなんだよね

東京都から借りてるものだって、日本国から借りてるものだって

突き詰めて考えてみれば、地球からお借りしてるものなんだっていうふうに思ったの

その時にスコーンとね、「これが欲しい」「あれが欲しい」っていうのがなくなっちゃった

 

病気してからね、病気して死に至った時にね、持っていかれないわけだから、それでなんか腑に落ちた

物欲がね、スッとなくなっちゃいましたねぇ

 

6 ---そうありたいものです

 

人生を振り返ってみてね、こんなに十分生かしてもらえたんだなぁっていうふうに思うわね

「人間いつかは死ぬ」って、みんなよく言うでしょう

 

私のように、これだけ長くがんと付き合ってね、これだけたくさんのがんを持ってると、「いつかは死ぬ」じゃなくて「いつでも死ぬ」という感覚なんですよ

それに関しては「あっ、ごくろうさま。お借りしていたものをお返しいたします」という感覚でいるからね、すごく楽なんですよね

 

 

 

7 巻末に、50ページほど

内田也哉子、母・樹木希林を語る

 

ここを読むと色々なことがわかる

 

両親が極端だと自分でブレーキを踏む

 

母の結婚観や家族観はなかなか受け入れられなかった

 

 

 

どこの家も大なり小なり似たような感覚だなと

私の母も父の1年5ヵ月後に逝ってしまい

もう2年も経ち、まだ色々と思い出します

この本を読んで、ほっとしたところがあるのです

 

コミックを差し置いて読み終えた本でした

 

 

 

いまなら自信を持ってこう言えるわ

今日までの人生、上出来でございました

これにて、おいとまいたします